えんすけっ!余話『さくらのしたにはわたしがうまっている』

「ああ、咲いてる」
 円は嬉しさを隠さず桜に駆け寄る。
 桜が咲いている。まだ、春だが寒い。十分に熱をためていないこの時期に咲くから通常の桜ではなく、山桜との混合種である桜だ。ただ、ソメイヨシノと同じく八重桜の系統なので花が重なって咲くことがが多い。
「綺麗だね」
 円の声を聞きながら頷いていたけれど、836にはよく分からない。回りが笑っていて、836も一緒になって笑っていると、円も嬉しそうな顔をするから836もする。それだけの事だ。
 円は気づいていないようで、花を指さし笑う。その笑顔も綺麗な花のよう。
「桜の下には死体が埋まっていると綺麗だっていうけど、あの桜もそうなのかな。凄く早く咲くし。
夜に死体を埋めていた生徒がいたんだって。その後にね、すぐ生徒は転校しちゃって……」
「あの桜が早く咲くのは品種の問題。怪談をあげていくなら、代表的な七不思議から、一『奇妙庵』、二『年越しの松』……」
 円は大げさに手を上げた。
「知ってるからいいよ。七不思議の伝説は、前、妖怪研究会のみんなで調べたじゃない。そこには桜の怪異は無かったと思うよ」
「確かに記録にない」
「うんうん。こういう記憶に関しては、本当にはっちゃんは信頼できるよ。何でも憶えているものね」
「うん。記録している」」
 円が笑顔を浮かべるから、836も同じ表情で返してみたが、その視点は内面に向けられていた。
 記録の検索。
 最初に出てくるのは円ののぞき込んだ顔と、『まどかだよぉ』という声だ。それ以前の記録をたどると、ただの暗黒が広がっていた。何もないそこには、記録してなくてはいけない何かがあったように最近思えてきた。数ヶ月前に起こった『白神事件』の時以来だ。あの時に836は新しい思考を知った。それは奇妙に残っている。
 円が急に近づいてくると、ぎゅっと抱きついてきた。
「どうした円」
「今、はっちゃん泣きそうな顔していたよ」
「泣きそう?」
 836は分からなかったが、円の為に大丈夫と声量を大きくして言った。
 風が強く吹き始めた。
「雨になる確率が7割を超えている。部室に」
 頷く円の顔から、笑顔は消えたままだった。
 部室に戻るなり稲光が走ったと思うと、音が直ぐに聞こえた。とても近いから危険だ。
「そういえば初めて会った日もこんな雷の日だったね」
「憶えている」
 校庭に光が走った。
「うわ、見に行こうよ」
 円は脳天気に飛び出していく。
「待つんだ、円」
 追って校庭に出た瞬間、上からくる力に気づいた。それは真っ先に円に向かって迫ってくる。
「円」
 円をはじき飛ばした。
 836も回避しないといけない。だが、もう遅かった。天と地を結ぶような、一筋の光明が身体を貫いていった。
 衝撃と全身を走る感覚。

 真夜中、桜の樹の根元を掘っていた。浴槽ほどの大きさの穴を掘りおえた。
 穴の側には少女が一人。悲しそうな顔で立っていた。少女は手に持った箱をゆっくりと穴の底に置く。
「桜には鎮魂の力があるんだそうだ。
 君たちに魂が宿っているのか私には分からない。
 でも、もしあるなら、鎮まってくれればと思うんだ」
 埋められているのは私だった。836に至るまでの多くの存在。廃棄された八百あまりの試作品。その多くは人間の似姿をとることもなく、ただの部品であったが、何かが宿っていた。それは制作者の思いであったのか。
「いけないな。会長の毒にあたったかな」
 廃棄され埋められた。その試行錯誤の道の一番最後に836が、私がいる。
 失われた記録の混合物。無意識の深淵。
 暗黒では無かった。書き込みすぎて、読めないくらい真っ黒になった記録。それが正体だった。
「あなたなら大丈夫だからね」
 そういってあの人は誰だったか。
 頬に落ちた暖かい涙。

 頬に落ちた暖かい涙。
「ねえ、起きてよ。ねえ」
 目を開ければ、円。
「わあ、はっちゃん」
 暖かな感触が伝わってきた。同時に地面から伝わってくる冷気。円の柔らかい腕。涙を流すくしゃくしゃの顔が面白くて少し笑ってしまう。
「ああ、ひどい。そんなに笑って」
 円は涙を拭きながら立ち上がる。
「でも、よかった」
 差し出してきた円の手をとった。
 真っ黒になった記憶に上書きしながら、836は立ち上がった。
 円の後ろには桜が満開で美しかった。

(2013.01.04 九十九屋さんた)