「ねぇぇぇぇぇ、はっちゃん、どれがいちばん多いぃぃぃ?」
「10/0/90/38 ガ イチバン オオイヨウデス」
I-836は、ニッとほほえみの表情を浮かべながら数字を刻み刻み提示する。しかし、今野円(こんの まどか)の眼の色には表情の色は無い。
「ドウシマシタカ?」
「……はっちゃん、ノットだよ、ベリー・ノットだよ、数値のみで言われてもぉぉぉぉぉ」
「ウッカリデシタ」
「で、はっちゃん、どれがいちばん多いぃぃぃ?」
「10/0/90/38――アカ――スナワチ "スモモ" ガ イチバン オオイヨウデス」
「なぁるほどぉ、なぁるほどぉ」
石段脇の土手から円とI-836が眺めおろしてる先には、組み立て式のお祭り屋台が建っており、色あざやかに売り物の名前の染め出された布などが並んでいる。
10/0/90/38――という、I-836の言った数値はK(くろ)C(シアン)M(マゼンダ)Y(イエロー)……色彩を示す数値であって、どうやらあんず飴の屋台に並んでるスモモの赤い色をデジタルしたようである。
ほんのちょっと暗めの鮮紅色。
「そぉかぁ……スモモかぁ……」
「ソノヨウニ ブンセキ デキマス」
「……なにやってんだ?」
石段から土手の方へ足を出し、円の後ろから桂和美(かつら かずみ)が声を掛ける。
和美の片手にはモナカの皮の上に水あめと共にぴこっとミカンが載っている物体が鎮座していた。
「ああああああああああぁぁぁぁぁあああぁぁぁ!!!!!!」
「とっつぜん、サイレン鳴らすんじゃねぇゼ、あぁー、耳鳴りする」
和美は、ミカン飴の載ってないもう片方の手で円の口を押さえると眉毛をピクンとつり上げる。
「えぇッ、かずみちゃぁぁぁぁぁぁん、かっんぜっんに虚をついてるよぉぉ、絶対にスモモのほう撰ぶと思ってたよぉぉ?」
「スモモ?!」
「いま、あのおみせの消費者人気指数をはっちゃんに分析してもらいながら予想してたんだよぉ、ねぇ、はっちゃん」
「ソウデス 10/0/90/38――アカ――スナワチ "スモモ" ガ」
「……よくわかんないけど、とりあえずどっちとも石段に戻って来い、ころがり落ちてバイバイしちまうゼ」
和美はそう言うと、わたわた身振り手振りしてる円を石段のほうにヒョイと戻した。
ゆるやかな勾配の石段をのぼって、小高い丘のてっぺんにあるお宮に向かって行くひとびとが何人か円たちの横をとおりすぎて行く。今日はこの石段の先にある袈裟比羅権現(けさびらごんげん)のお祭り日で、石段の下に屋台が何軒か建ってるのもそのためである。
お祭り日といっても、近隣のひとたちがほんのわずかお宮にお参りをする程度で、盛大な規模ではない。屋台が出ていなければ本当にお祭りを開催してるのかどうかすら気がつかないくらいだ。
このお祭りの存在をまったく知らなかった円は、ほとんど興味が無かったが、文房具屋で遭遇した和美に〔見てみようゼ〕と誘われて、そのままついて来たのだった。
「だってぇ、鎌倉時代だか何時かにここにバザールが立ってた日ってことが由来なだけでしょぉぉ? かずみちゃぁん」
「鎌倉時代をばかにするんじゃないゼ、天狗だって居たかも知れねぇじゃんか」
「それは無いよぉ、このまえ柳田せんぱいが梅朱せんぱいに訊いてたけど、この辺りには天狗のいる山なんてほぼ絶無なんだからねぇぇぇぇぇだ!」
「悟徳学園には天狗特捜部な先輩もいるのか……、さすが妖怪研究部だゼ……」
「梅朱せんぱいは、別に妖怪研究部じゃないよぉ!!」
「……余計に悟徳学園の異常さがびっしんびっしん伝わってくる感じがするゼ」
和美は目を半びらきにしつつ、割りばしの先についたミカン飴を口に持って行く。
「0/0/40/80 グライ デスカネ ミカンアメ」
「おおむね、グルコースとフルクトースのかたまりと見てよいですねぇ、ミカン飴」
和美がミカンを口に含む様子をずーっと見ている円とI-836。
「……」
「はっちゃん、グルコースのかたまりである水飴の場合は色の数値はやっぱり "透明" あつかいなの?」
「トウメイ ノ カタマリ」
「……」
「糖と透明」
「スケルトン スケルトウ」
「あぁぁぁっ!! 糖、糖、糖、糖、やっかしいんゼぇぇぇぇぇぇぇっ!!! ビタミンCだ! これはビタミンCの摂取だゼっ!!!!」
「和美ちゃんてばぁぁ、なんでもすぐビタミンでごまかそうとするぅ」
円が和美の腕にクイっと寄りかかろうとした瞬間、サッと昼さがりの太陽光線をさえぎって、長い長い影が延びかかって来た。
「カツラカズミ、また会ったな」
ささささっ、と長い影――石寺早導(いしでら さみち)は石段を駈け下りる。影の大きさは光の傾きのせいもあるが、和美よりも大きなその長身のせいでもあった。
「あっ!! また湧いて出たなっ……!!」
和美はキッと身構えて石段に向かい立つと、ミカン飴を円にパッと手渡す。
「かずみちゃん、もしかしてぇぇ、このひとがっ、何回かファイトしちゃった、あの?!」
「そうだゼ……でも、まどか、どうでもいいけどいきなり遭遇した他人を水飴な割りばしで指さすのはやめ、だゼ」
和美の冷静小言が流れる最中、ささささっと早導が木枯らしのように石段を駈け下りて行く。
「あっ、石寺ッ!!!!」
「先月のつづきだ、カツラカズミ、まずはついて来い!」
「待てッ、おいッ……!!!」
超速力で石段を駈け下りてゆく早導のあとについて和美も駈け出す。
円とI-836は必死に追おうとするが、眼で追うのも間に合わない程のスピードでふたりは石段を下りてしまい、視界にいるのはこっちに向かって石段をのぼってくるドコかの家のおばあちゃん1名くらいであった。
「いい闘いの場だ、これで競うぞ」
「……お、ぁおぅ、わかったゼ」
円とI-836が石段を下りきると、早導と和美はお互い何かを両手に抱えて再び駈け出していた。
この袈裟比羅権現の丘には、今さっきみんなが猛スピードでおりてきた石段とは逆方向側に、もう一本、別ルートの石段がある。早導と和美は先程の石段よりも大々急勾配なそちらの石段の下に立ち、じりじりと睨み合いながら立っていた。
「スウチ ニ デキマセンガ スゴイ サッキ デス……!」
「あぁぁぁぁわぁぁ、かずみちゃん大丈夫かなぁ、大丈夫かなぁ……!」
こちらが不安げに眺める一方、早導と和美は石段の1段目にそれぞれ片足を掛けて、また顔を睨み合わせる。
「大丈夫かなぁ……ん? あれぇ、かずみちゃんたち何か持ってるよねぇ……何するんだろ……」
「アレハ …… ハゴイタ デスネ」
「はごいたぁ?」
確かに、早導と和美がそれぞれ手に抱えているのは羽子板だった。羽子板といっても、押絵のついた仰々しい細工物のビッグサイズではなく、屋台のおもちゃ屋さんで売っていたものと見えて、ただ表面に簡素な絵が描かれてるだけの小ぶりの羽子板である。
ささささっと早導がその羽子板をもった右腕を水平に突き出すと、和美も同じように羽子板をまっすぐ出す。
「うわぁぁ……、いままでかずみちゃんが鍛錬してる様子は見たことあるけど、まさか実際にストリートファイトするのを "まのあたり" にあたっちゃうなんて思いもよらずだよぉぉぉ」
両手で粗めに顔をおおい隠しながら円が不安な声をあげる。
「カツラカズミ――行くぞ!」
「来いっ! いつでもいいゼ!」
早導と和美ふたりの間に、これ以上ない真剣な緊張がピーンと詰まる。
4秒、5秒の沈黙があった後、ガサッ――という音がしたかと思うとふたりは、まばたきも許さぬ第一歩を踏み出して……
「はっちゃぁぁぁぁぁん、ど、ど、どっ、どぅなったぁぁぁぁ? 痛そうっ? やっぱり痛そうっ??」
てのひらで目の前を隠したまま、石段の脇にある小さな馬頭観音の碑のかげで円がたずねる。
「オフタカタトモ イシダン ノ トチュウ…………18ダンメ アタリデ シャガンデマス」
「わっ、わっ、わっ、痛そう? 痛そう?」
「ハゴイタ モチナオシテマスネ」
「ダメージ痛そう? 痛そうっ?」
「オフタカタトモ ……アッ!!!!! オトシタノヲ ヒロッテ マタ タチアガリマシタッ」
「羽子板ぁ?」
「イエ チガイマス――ハゴイタ ニ ノセテタ "スズカステラ" ガ オチタノ ヲ ヒロッテ タチアガリマシタ!!」
「かぁぁぁすてぃらぁぁ?!!!」
目の前からてのひらをパッとどかして円が眺めると、羽子板にのせた鈴カステラ1ヶが再び転がり落としてる早導、うまくバランスを取りながら羽子板にのせた鈴カステラ1ヶ片手に石段を跳び駈けてる和美、ふたりの血で血を、否、粉砂糖で粉砂糖を洗う闘いの光景が、目に飛び込んで来たのだった。
(2015.03.07 氷厘亭氷泉)