「モウスコシ マッテクダサイ」
「まどか、何してるの?」
「ジャム ヲ シャツニ コボシテシマッタノデ カエテ キテマス」
I-836の返事を聞きながら口井章(くちい あき)がほほをさすりさすりながらしばらく立っていると、門から今野円(こんの まどか)が跳ね出て来た。
急いだために鏡も見ずに出て来たのか、円の制服のネクタイはチョットだらしなくずれている。
「キマシタ」
「そんなに慌てたりしても、まどかのその髪がしっかり出来てる点だけはすごいなと思うよ」
章は半分嘲笑を込めながら、円に向かってそういうとトコトコ歩いて行く。
秋晴れの空気の空の下、I-836もきびきび動いている。
今朝の章のカバンを肩にかけている左手には、ひとつ、大きいふくろを提げて持っている。大きさは、美術の時間に絵を描くときつかう画板くらいの大きさだ。
「あれぇぇぇぇっ、あきちゃん、何持ってるの? きょう何か授業でそんな大層なもの持って行くミッションあったっけぇ?」
「あ、これ? ――とうりょうがダンボールをいっぱい使うって言ってたからうちにあったいらないの持って行くんだよ」
「えぇ、みやちゃんがぁ?」
「サッカー部でまた何か変なもの作るんじゃないのか? 人数いなくて試合もできないから」
「あきちゃぁぁぁぁん、それ言っちゃかわいそうだよぉぉぉ、限界突破でも、サッカーはみんな上手いんだからぁぁぁ」
「4人ばかしじゃ公家の蹴鞠だよ、けまり・けまり」
円たちのクラスメートである塚崎みやの所属している悟徳学園のサッカー部は、今年学校のきまぐれで設立されたばかりで、まだ部員数は、その塚崎みやを含めて4名しか存在してない。
章は笑顔で「けまり!」と言い終えると、ふくろのくちをチラっとあけて中をチラリズムする。確かに、畳んだダンボールが入っていた。
「あっ、このダンボールってもしかしてっ、もしかするとぉ?」
わざとらしく円がひとさしゆびを立ち上げながら笑顔で問いかけて来る。
液体窒素で瞬間冷却されたかのように、章は笑顔を真顔に戻す。
「そういう訊き出し方もキモいよ、まどか」
「もぉしかするぅとぉ?」
円の明るい行動力は、章の真顔返しに踏み耐えてまだかがやきを保っている。
「このまえ、まどかに教えてもらった牛乳のやつだよ……」
ふー、とため息をつき、章は答えた。
「やっぱりぃぃぃぃぃぃぃ!! あの牛乳のパッケージの悪虫の印刷見えたもん!! 見えたもん!!」
「わりと美味かったから、けっこう飲んでるよ」
「えっ、でもこのダンボールあげちゃうってことは、あきちゃん……いらないの? この悪虫の絵がついてるのにぃぃっ?!!」
「別に、いらないだろ、ダンボール」
章はすっぱりと答えた。
ダンボールにはアクチユ牛乳の商品によく印刷されている、昔の絵巻物から採られた悪虫(病気をもたらすと考えられてた存在)の絵が印刷されているが、ふたりが話の俎上にあげている商品〔アクチユ牛乳 みかん〕には、蜜柑にアクチユ牛乳の悪虫独特の眼が生えたような絵柄もぺたぺたと散らして配置して印刷されてるというシロモノ。
たまたま道端に落ちていたその〔アクチユ牛乳 みかん〕のダンボールのかけらを見かけた円が「エクセレントっ!!!!」――と、興奮して商品名を伝えた結果、章がそれを箱買いしてたのだった。
「わっ、わっ、スットレートに言っちゃったよ、はっちゃん!! あきちゃんてば、行っちゃったよぉっ!!?」
「オッシャイマシタネ」
「そのっっっ! そのっっっ!! ダンボールの蜜柑がいいんじゃんん!! なんで不要分子なのさぁぁぁ、あきちゃぁぁぁぁん!!!!!」
「別に、飲んだら美味かったからってだけだし……、飲み終わったあと3本くらい買って来てもらったとき、親が他の買い物の荷物詰めてくるのに、たまたま、その蜜柑の牛乳のダンボール持って来ただけだし……」
「えぇぇぇぇぇ……、じゃあ、まどかにちょうだいよぉぉぉ」
「塚崎にあげるから持って来たんだよッ!!!」
「うふぇぇぇ」
円が悩み果てた果てのセイウチのあくびのような声でへこんでいると、ふと目の前、10メーターくらい先にある曲がり角の先の風景が視界に入って来た。
「あっ!!! はっちゃん! 道路の向こうの曲がり角の先っ!!!」
曲がり角の先にある道路に面してかなり広めのスペースがコンクリート敷きになっている建物に視線を送りながらI-836に話しかける円。
「ナンデスカ」
「見てごらんよ!! あれだよ! あれ!!」
「アー アレガアリマスネエ」
「あんなところにあったりもするんだねぇ、でも、あれじゃあ動かなそうだねぇ、惜しいねぇ」
歩きながらなので、もうその曲がり角は後ろのほうへ流れ果ててしまっているが、円とI-836は何か目にしたらしき物体についてしきりに何か言い合っている。
章は、さっぱりわからん、といった面持ちでふたりのことを眺める。
「……何が出没してたわけ?」
「あきちゃんは、あんまり知らないでしょぉぉ、あのねぇ、ハンバーガーとぉホットドッグとぉフライドポテトがぁ、出て来る自動販売機のぉ」
「そんなの知ってるよ」
「えぇぇっ、そういうもんなのぉっ?」
「まどか、柳田先輩の前で恥かかずによかったね」
「柳田せんぱいはなんでも知ってるから、多分機種番号とかも知ってるとまどかだって考えてるから、そんな訊き方しないよぉぉぉ!!」
「もともと訊き方が失礼なところが問題あるだろ。で、自販機がどうした、目でも生えてたの」
「はっちゃぁぁぁぁん、あきちゃんに言ってあげてよぉっ」
「ステラレテマシタ」
「えっ?」
「あきちゃんは気にしてなかろうと思うけど、あそこの角の先がいつの間にかくず鉄業者さんに変貌してたんだよぉっ」
I-836のうしろに隠れて顔だけちょびっと出しながら捕捉解説をしだす円。
「あぁ……、なんかクーラー・幾ら、銅線・幾ら、みたいな看板が立ってるのはあのあたり通ったときチラっと見えたような気はする」
「ソコニ ソノ ジドウハンバイキ ガ アッタトイウ ワケ デス」
「……なんだ、じゃ、あの建物についてどうこういってたわけじゃないのか」
「え?」
さっきの章のように、今度は円が口を小さくまるあきにして言う。
「何その顔は、まどか。……だって、いまそのくず鉄業者になってるっていうアソコはさ、前はカスみたいなそば屋だったろ、建物たしかそば屋の時のそのままでモトモトからの変なかたちだもん、そのことかと思ったのっ!」
「どこか変な感じなの?」
「だって、変だろっ、四角く鉄筋造な感じの建物で外壁も吹きつけタイルな感じで成立してるのに、真っ茶色なすんごい和風な屋根瓦がぺたぺたその壁に屋根でも無く縦に張り付けてあるんだよっ?」
「んん……あぁ……?」
一生懸命、視界の記憶を脳の記憶野から呼び戻してる円であるが、――そもそもどんな建物だったのかなぁ? ―― というのがその呼び出し結果。
ひさしにようになってるわけでもなく、壁にぺったりセミが停まってるような雰囲気で吹きつけの外装の上にランダムに、何枚か葺かれたようなかたちでワンセットになった瓦がぺたぺた貼られた珍妙外観のその現・廃品回収業者のオフィスとなっているその建物の風景は――円の記憶の視界の中では――廃自動販売機と、それを台車で運ぼうとセッティングしていた外国人風の労働者だけしか存在していなく、あとはぼんやりソフトフォーカス1000%になっていた。
「縦に瓦ってぇ……あきちゃぁん、どういう……」
「……まどか、ほんとうにさっきの曲がり角の先を眺めてたのか? 異次元眺めてたんじゃないのか?」
「イジゲン……クスッ」
I-836が、うっかり吹き出す。
「そっ、そんなことないよぉぉぉぉぉぉぉ!!!! はっちゃん!!」
「鉄塔みたいに上空に向かって縦に貼ってあるんだよ」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ??! そこまで変なのぉ?」
「そこまで設計デザイン狂ってるわけないだろ」
「あっ! ずるい!! あきちゃんめぇぇぇぇぇ!!!!!」
その日の朝、悟徳学園の校門にさしかかった頃、日野寿の耳に及んで来た円の叫びは「フェイク瓦葺きあきちゃん」だった。
(2014.11.02 氷厘亭氷泉)