えんすけっ! ビケの魅力

柳田先輩

 植物の数の豊富な悟徳学園の校庭は、次第々々に秋の深まりを感じさせる景色に変化しはじめている。
 柳田先輩は黄色いツワブキの花のいくつかちょこちょこ咲いてるあたりのベンチに腰かけて、昼休みのひとときを読書にあてていた。――読書、といっても読んでいるものは本屋さんなどに普通に並んでるものではなく、かざり気のない真っ白な表紙にくるまれた、抜き刷りのようなものだ。
「せんぱぁぁぁぁぁぁぁい、何よんでるんですぅ?」
 今野円(こんの まどか)の出没によって、斜体のアルファベットを追ってた柳田先輩の視界は現世に引き戻される。
「……昼休み終結間際のこの時刻に、ここで遭遇するのは久しぶりですわね」
 柳田先輩がそういいながら顔をあげると、円の横に立ってるI-836が何やらごそごそと大きめなクラフト紙のてさげぶくろから何かを取り出そうとしている。
「それ、なあに?」
「ヤナギタセンパイ ヘノ オミヤゲデス」
「そうですっ、あのぉ、兄上……あっ、兄が、出張してた先で買ってきたものですけどぉ!! この前のものさしのお礼でぇっ!! どうぞぉっ!!」
「ドウゾ」
 ふかぶかと頭をさげた円は、I-836がてさげぶくろの中からおなじ色のクラフト紙で素朴にラッピングされたおみやげ? を手渡すのをチラっと見届けると、そのまま、あとずさりをするようにサッサッサッと3歩後退して、I-836を連れてざざーっと校舎に向かって走って行く。
「あっ、待てっ……」
 円たちはあっという間にいなくなってしまい、柳田先輩が声をかけようとしても、もう聴こえそうな距離では無かった。
 手の上に渡されたその包みは、別段重みがあるわけでもなく手頃な軽さ。中身を覆っているクラフト紙には飾り模様やロゴなどの印刷はされておらず、ただ一面のうす茶色。
 柳田先輩は中身が何なのか重量感覚だけで当ててみようか、と、ほんの一瞬だけ考えて見たりしたが、そのまま、そのほんの一瞬は握り殺し、ベンチを立って自分の教室へと向かった。



 昼休みがおわるまで、あと8分程。
 次の授業が体育なので、何人かの生徒たちはすでにジャージに着替えて体育館に向かう準備をしている。
 柳田先輩は、真っ白い本とうす茶色の包み、どっちも外見からは中身が何だか不明すぎる物体を机の上に置き、ジャージに着替えはじめる。
 ふと、見てみると、いままで気がつかなかったが、円からもらったそのうす茶色の包みは、全面印刷も何も無くてのっぺらぼうなのかと思っていたものの【Citre】という薄いえんぴつ書きの文字が小さく書かれてるのが目に入った。
(うらがえしに受け取っちゃったってことかな?)
 柳田先輩がそう思ってると、いつの間にか机の近くに南方楠美(みなかた くすみ)がたたずんでいた。
 いつもどおり、勝手気ままなTシャツ姿で、制服っ気は微塵も皆無だ。
「チャオ! 柳田さん!」
「なんです」
「こっれ、をー、ごろうじろ、ごろうじろ」
 そう言うと楠美は、くるりとうしろを向いてヒップをつき出してくる。
 楠美は、Tシャツの下は申し訳程度の制服のスカートだったり、くたびれた感じのスパッツだったり、どこでひろって来たのかわかんない短パンだったりするのだが、どうやら今日は全選択肢はずれで、普通に悟徳学園のジャージだった。
「見ません」
「いやいやいや、ここにチップをのっけてお恵みくださいってわけじゃないのッ、ないのッ、見せたいものは吾が刺繍の腕前っ!!」
「ししゅう?」
 ジャージに袖をとおしながら柳田先輩が、チラッと横目で楠美のスパッツの臀部にあたる角度を見てみると、なにやらアップリケが縫い付けられていた。
「どうっ? いいでしょう、いらいらまんぼうのアップリケ!」
「その部分の声だけ耳にすれば、とんでもなく乙女な感じですわね」
 楠美のジャージの臀部の破れを敢然と覆い隠しているそのアップリケは、目つきの険しいマンボウのような形のもの。
 しかし、既に柳田先輩の思考は〔そんなことどうでもいい〕モードに入っており、もくもくとワイシャツを畳んで体育館に向かう準備をしている。
「やだなあ、おととい、それっておこぜ? とか柳田さんに言われたから、ちゃんと横に〔いらいらまんぼう〕ってラテン語併記まで足して縫ったんだよっ、これっ」
「ラテン語は別に必要ないじゃない」
「いや、このジャージがもしもテュポーン級の風にでも吹き上げられて、遥か別天地に行き着いたときに、柳田さんみたいなのに拾われて、この諧謔に満ちたいらいらまんぼうの真価を解してくれないかも知れない事態を防ぐためのラテン語っ!」
「傘を知らない里に傘が飛んでく話じゃあるまいし、そもそも、そこまでジャージは飛ばされません」
 そう言うと柳田先輩は教室にかけてある時計の針を見上げて、教室から出て行く姿勢に入る。
「待って、待って、てばーーーっ!!!」
楠美が勢いよく後を追おうとして駈け出すと、それと同時に教室の出入り口に歩みを進めてた別のクラスメートとこつんと肩が側面衝突を起こす。
「うっ、南方さん……、ショルダータックルやめてぅ」
「あ、悪い悪い、――これは、君様の進路妨害、それがし肩もしびるるごとく覚えそうろう」
「弁慶しゃべりやめてぅ」
 楠美と肩を衝突したクラスメート・島津遮那(しまづ しゃな)はそう言うと、無駄に土下座を決めている楠美の頭をぺしぺしと軽く叩く。
「これじゃ、逆だ」
「だーかーらー、牛若丸にしないのぅ!!」

島津遮那

 島津遮那は、1年生のときクラス内での最初の自己紹介の場で〔好きな「丸」のつく人名は「牛若丸」です〕と言って以来、3年生になった今でも、そのときクラスが一緒だった面々からは「牛若丸」あつかいされたりしてる。
 悟徳学園の場合、まわりの生徒が出してくるボケなエチュードも、勧進帳はあるわ義経記はあるわ天狗内裏はあるわで、ちょっと濃すぎたりもする。
 しかし、性格のほんわか加減と、いい感じの病弱さから、本人が感じてる――からかわれてるぅ――というよりは、かわいい存在として本当に牛若丸のようにまわりから丁重に取扱われてるといったほうが合ってる、の、かも知れない。
「柳田さんは、動くの早くていいですねぅ」
 体育の授業後、着替えを終えた柳田先輩に、その遮那が話しかけた。
「飛んだり跳ねたりしてたのしむのは好きだから」
 遮那は体育の授業の班が同じなのだが、バスケットボールでもバレーボールでも、大抵、柳田先輩に助っ人されてばかりである。牛若丸の割に、運動は抜群ではナイのだ。
「そうだ、島津さんはこの単語なんだか判ったりする?」
「どれですぅ?」
「この……薄くてよくわかんないんですけど」
 そう言うと、例の円から受け取った包みの裏にあった薄い【Citre】というえんぴつ書きの字を見せる。
「これって、あれなんじゃないですか? フランスのぅ……」
「シートル? ――まぁ、今野(兄)なら海外ものとは思ってたけど――」
「でもぅ、うすべったい包みですね」
「そう、シートルってあれでしょう? まるごとだったらカボチャより大きい実でしょう? 輪切りでもないだろうし……これだけ薄型な包装だからジャムでも無かろうし……、どんなものか当ててみません?」
「ええっ、……むずかしいぅ」
 むずかしいなぁ、といったときの遮那の顔つきはかわいいので、柳田先輩は少し〔狙ったとおりの反応が出ておもしろし〕モードの顔つきに一瞬なった。
「どうです? 私は、ハンカチみたいな布ものだと思いましたわ」
「……むずかしぃぅ」
「んーっそうだなーっ、シートルの実のかたちの……グラサンっ!!」
「楠美案は、いらない」
 割り込み楠美を押し戻す柳田先輩。
「輪切りを干したりとかよりも……そうですねぅ……、砂糖づけか何かにしたものをつけた……、ビケ? とかですかねぅ?」
「ビケ??!」
 柳田先輩が謎の言葉に遭遇した折りにひからせる独特の眼の輝きをみせる。
「あっ……ぅあ、ビケって……あ、ビスケットのことです、ごめんなさい、小さい頃、そう言ってたからくせで時々家でそう呼んじゃうんで!!」


 その後、ホームルーム後にクラフト紙の包みを開けて確認してみると、遮那の言ったようなビスケットのようなものにシートル(秋スイカ)とレモンで作られたジャムを塗って焼いた焼き菓子が出て来た。
 柳田先輩は〔さすが、天狗のちからがあるだけござりますね〕と牛若丸を利かせた褒め言葉を遮那にかけたのだったが、それから数週間、柳田先輩のクラスでは、南方楠美が連発しすぎたことも加わってか〔ビケ〕というのが流行ってしまったのだった。


「あぁーーー、柳田せんぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!! この前の、あの、お味はいかかでしたかぁ?」
「シートルはレモンより、オレンジとあわせたジャムのほうが香りがいいかもしれないですわね」
「センパイ モ エイトサン ト オナジコトイッテマスネ」
「でも、珍しいビケだったわ、どうも」
「え?」
「エ?」



(2014.10.26 氷厘亭氷泉)