ブオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
二輪車のエンジンの音が遠ざかってゆく音が、夜10時過ぎのアスファルトに響いていた。
その音が小さくなっていく中、葱耜月世(ねぶすき つきよ)は、寒さまじりの夜の風に、その長い髪を揺らして立っていた。
「えっ? どうしたって?」
解人高校のセーラー服に身をつつんだ集団が多く立ち並んでいる駅の近くの踏切で、赤柴水矢(あかしば みずや)が眼をごしごしこすりながら朝のひかりを浴びていた。
踏切の音が鳴り渡り、都会に向かう電車が通り過ぎる。
その隣でおなじく踏切のひらくのを待っている牛島績美(うしじま うみ)は笑顔を浮かべ、カバンの中から、そーーーっと、1冊の文庫本を取り出す。カバーの上には本屋さんの紙カバーがかけられていて、中身がどんなタイトルなのかはわからない。
「アハハー、わかる? みずっち」
「また、牛ちゃんの、他人に伝わらない、きゅん死にがはじまったんですか?」
「やだなぁ、忍さまからもらったんだよ」
「なにっ?!!!」
水矢の眼の輝度がぐいぐいとアップしてゆく。
「中身はなんだっ?!」
「なんとか……とかいう和歌集の文庫」
「曖昧すきせるぞっ、牛ちゃんっ!! ――で、なにか? その文庫本、まさか……またわてよりグレードの高い……?」
「そのまさかは、学校についてから公表します、アハハのハ」
「くそぉ……、また見返し落書きしてもらったりしたのかっ……!! 牛ちゃんはいいよなぁ〜、あのホームセンターの園芸コーナーは確実出没ポイントだもんなぁ」
水矢は績美のアルバイト先にのろいパワーを送りながら、うらやましがる。
折口忍はときどき本をくれたりするときに、本の見返しやどこかしらのすみっこにらくがきをしてくれたりもするのだが、今のところ、おもしろらくがき入手成績の首位選手は、牛島績美なのである。
「植物はいいよー、この世界で一番すぐれた知力をもってるのは植物だよ、アハハ」
「うそつけ、植物と触れ合うってより、あの売り場はいつも赤玉土とか運んでるだけだろ」
水矢が悪態をついてると、踏切がひらいて学生たちの列は歩みを進めて動いて行く。
自転車などがシャーッ、シャーッと駈け抜けるのを脇に見ながら歩いていくふたりの後ろには、いつもならいつの間にか出て来るあの背の高い影があらわれるはずなのだが、今日はそれが登場せず、学校の近くにさしかかった頃、米山甚句をメロディーをくちずさみながら走ってた同じ学年の鰭骨小枝(ひれほね こえだ)がすべりそうになって水矢に追突し、バランスをくずした水矢が空中でとんぼ切って着地するイベントが発生しただけだった。
「エっ? ドうしたッテですカ?」
教室の中に葱耜月世が出没したのは、その日は遅く、3時間目がおわって直後のころだった。
「遅刻どころじゃないじゃんかよ、また呼び出されっぞ」
水矢はそういいながら、月世のほうをにらみつけながら授業で配られた数学のプリントを渡し渡し言う。
「いヤー、余も、遅れるなぁトは分かってたんデすけどねエ……」
「また寝坊でもしたのー? アハハハ」
績美は月世の髪の毛についてたわたぼこりをサッと取ってあげながら笑って訊く。
長い月世の髪の毛がところどころごちゃごちゃしてて、起床後あまり鏡の前に立ってませんでした感を醸し出してるので績美はそう振り出したのだったが、月世はふんふんと頭を横に振り振りして。
「スイミンは十二分にシまたヨ、寝返り選手権で賞がモラえるホド。いつモより爽やかに目覚めテ、家モ出たほどデス。――でもミス柳田先輩ノおくるまヲ眺めなガら歩いてタラ、もう時刻が今でス、どーなっテルんですか」
眺めたり、追いかけたりの仕草を手でおおげさにゼスチャーしながら語りだす月世。績美はそれに笑いが止まらなくなったりする。
「アハハハ、なに? 悟徳の柳田先輩のあの高級車を追尾しちゃったの? さすがだねぇ、スパイだね、アハハハハ」
「あんな自動車に対して、走ってじゃあ、"らあめん" がゆであがる程の時間かかんないうちにまかれちゃっただろ、ネブ」
「そレは大丈夫デすヨ、ちょうど、そのトキ都合よク、市営バスが!! エンジンにはエンジンですよ!!」
「おい、牛ちゃん……大体、どういう展開を踏んで遅刻してきたかが見えて来たな」
「そうだね、アハハハハ、ネブってば前も〔行く先の表示のトコろにアる地名ガかっこよかっタのでそっチに乗リまシた〕とか、あったものね、あった、あった、アハハハハ」
「モう……、余が芯をいれテ語りツくそうとしテレばふたりとモー」
月世がそう言いながらカバンを開けると、中からゴロゴロッゴロンとパックに詰められた沢庵が2、3本転がり落ちて来た。
突然の出現にうわーとおどろく績美&直撃を背中に喰らって背筋をびっくりさせる水矢。対する月世は対して気にせず泰然自若。どこ吹く風で教科書やら英語の辞書を取り出しては机に納めている。
「おぃぃ……、今度はなんだ、ネブ、お茶漬け屋でもカムチャッカに広める気なのかっ?」
「あア、ごめんなサい、どうセ遅れるんなら昨日の晩、家ノ母に頼まれテ買うノ忘れて叱られタ、たくあんづけヲ途中で買ってからト思って買ったノデ」
「学校の帰りに買って帰ったっておんなじだろっ!!」
「いエ、バスがようやく停マってくれタのが、ちょうど漬け物屋サンの前ダったんデすよ」
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ、やばいよ、水っち、だめだ、こ……れ、アハハハハハハハ、には忍さまに書いてもらった落書き敗けるかも知れない、今日はだめだ、ネブの登校の路線図の狂乱ぶりのほうがやばいっ」
沢庵漬を回収してカバンの中に丁寧に詰め込む月世を見ながら績美の笑いの渦は止まらなくなってしまった。
「そんナのより、昨日の余に起こったコとの方が大変でシたよ!!」
「昨日はどうしたんだよ、首切れ馬にでも出くわしでもしたのか」
「イタリアにひき殺されそウになりまシた」
月世は、そっちのほうがマシだよ、といった顔つきになりながらも水矢のほうに更に真剣な目つきで顔を向けると、声のトーンを落としてそうしゃべり出した。
「イタリアぁ?」
「あれデすよ、昨夜、余は〔四辻に誰にモ見つかラなイように物を捨てル〕というノのは、どのくらいノ難易度なノか試しテみたんでスヨ!!」
「それ、節分のやつ……!!」
もう、績美はにこにこ顔の停止ボタンを廃棄処分した勢いになりつつある。
「……その変な実験のついでに、あの100%ロシアなお母さんから、朝めしのたくわん漬け買って来いって頼まれたわけか」
「ですヨ、デすよ」
月世がいたって真面目な顔で水矢に返答した姿を見て、績美はもう、机によっかかって大いに笑っている。
「それデ、近くの美容院の横にアる十字路に行ったわけデすよ!! で、往来の真ん中に立ったラ……!!」
「ためらいもなく真ん中に立つなよ、この国にも道路交通法ってものがあってだな……」
「モう、夜の22時を過ぎタラ、走ってナいでしょう、あんな裏道!」
「で? イタリアってのは何なの、アハハハハハ」
「イタリアのー、あれですヨ、あ、のー、ホら」
両手で円形をつくって示す月世。
「タイヤが転がって来たのかっ?!」
「いや、あ、ノー、頼むとすぐ来る……あのヤつを運んで」
「ピザ屋のバイクじゃんか!!!!!」
「あぁ、そうソれですヨ、ピザ!! ピザ!!」
「わてはまたイタリアとか言うからどんなマフィアがらみのスパイに消されそうになったのかと思った、考えたら、確かにその時間ならピザ屋ぐらいだよっ出前で走れんのは!!」
「ピザ、ピザ、……そうデす、あ〜」
「アハハハハハ、沢庵まで普通に食べてる家なのに、ピザが、すっと、言えないほうがおかしいよ!! ネブ!!」
(2014.10.19 氷厘亭氷泉)