えんすけっ! こげろ、いろりょん

「この金物屋のとなりは、去年まで古過ぎな感じの瓦ぶきの家がありましたのよ」
 駅とは反対の方角の歩道をあるきながら柳田先輩がつぶやく。
「へぇぇぇ―、えぇぇぇー」
 I-836といっしょに柳田先輩のすぐそばを歩いてる今野円(こんの まどか)の返事はフニャフニャしている。
 瓦葺の屋根がどうだかとかガルバニウムがどうとかいう建物の見た目の話題は、徒歩・乗物どちらであっても柳田先輩がよく移動中に観察して話題にする対象だが、円はまったく興味が無い。
 柳田先輩がそういう話をしてるとき、部活ではおもに牧田スガが「ふむふむ、なるへそ」と受け答えをしたり、お互いに古いたたずまいの商店やアパートや民家の写真を見せ合ったりして盛り上がってる。
「石州瓦の……」
「あっ、柳田せんぱぁぁぁい、見えて来ましたよっ!! あれですかぁぁぁぁ?」
「……あ、そう。あれがそれ」
 柳田先輩は少し眉毛の角度をあげながら返事をすると、I-836から淡い草色の封筒を受け取って一軒の店へと入って行った。
「うわぁぁぁ、はっちゃん、ここ、来るのはじめてだねぇ、だねぇ!! ファーストコンタクトだよっ」
「ヒキド デスネ」
 その店のガラス戸はかなりアンティークな感じで、ぐるぐるまわして締めるタイプの鍵がついてる木の枠のもの。そのうちの一枚には、金色の字で〔焼魚書店〕という字が記されてるが、だいぶ年季が入ってて、〔書〕の字うたりはだいぶかすれて来ている。
 自動ドアとは大幅に遠い世界な入口である。
「揺れるねぇ」
 手を触れると、すこし建てつけが緩んでる分がガタガタと動く。
「――オォォ」
 I-836も軽くガタガタ。
「あきかぜやぁ」(ガタ)
「ヤブモ ハタケモ」(ガタ)
「ふわのせきぃ」(ガタガタ)
「バセヲ」(ガタガタ)
「……ふたりとも、なに家鳴りしちゃってらっしゃるの」
 ガラス戸の中から柳田先輩がふたりの方に首をまげてジッと見ている。――眉毛の角度は普通だが、声の調子は少し怖くなっていた。


「なんで芭蕉だったの」
 淡い黄色っぽい明かりの店内に立ったまま、柳田先輩が円に訊く。
「いまちょうどぉ、古典の時間に"秋の俳句"てのをやってるんですよぉ」
「……また、季語に工夫の無い、わかりやすいやつ撰んだもんね」
「でも、柳田先輩。この本屋さんは誰も居ないんですか? アンウェーリーですねぇ」
 円がずいずいと狭い店内を奥に進軍していく。
 きょろきょろ見回しても見えるのは棚にぎっしりな本、通路につみあがった本、雑誌ばかりで生命体が居る気配は、柳田先輩以外からは感じられない。
「もうじき、帰ってくると思いますわ」
「ドコカニ レンラクバン デモ アルンデスカ」
「いや……そこのテーブル見てごらんなさい」
 柳田先輩が店の真ん中あたりにある古い、表面のガサガサしたテーブルの上を指さす。
「この美術室の荒れた作業台みたいなやつですかぁ?」
「その端の、新聞紙のおかし櫃」
 言われてみると、新聞紙を箱のように四角く折ってつくったいれものがその汚いテーブルのすみっこにある。
「からっぽですけど、何か」
「その中身が尽きたから、近くに買いに行ったんじゃないかしらね……」
 柳田先輩はそう言いながら、棚に並んでる本の背の群れを静かに眺めている。
 すると、ガタッガラガラガラとガラス戸のあく音がしたので、ハッと円、ピッとI-836、くるっと柳田先輩がこの店――焼魚書店――の入口に向かって体を向ける。
「おろっ? 柳田先輩が、いろりょんの本屋さん買収したのかっ?」
 ガラス戸を開けて入って来たのは、中山くん――と、そのご主人様(?)――の渋沢一二三(しぶさわひふみ)だった。
「探してもらった号の雑誌をもらいに来ただけですよ、お嬢様」
「だろうと思った。柳田先輩なら、もうちっと造作よく改造しちまうだろうからね」
 一二三が店の中にトコトコと歩いて入って来る後には、中山くん以外にももう一人、悟徳学園の制服を着た子が付いて来る。
 円やI-836の顔も見ながら、ぐるりと店内を見回して、店の者の居ないことを知った一二三は、後ろについて来た子のほうにくるりと体を向きなおす。
 短い黒髪のその少女は、特にかしこまる風ではなく立って居た。

渋沢一二三後岩準中山五則

「じゅんさん、いまこの家の者は居ないみたいだから、とりあえず今日はあれ、置いていくだけにしよっか」
「はい、一二三さん」
 じゅんさん、と呼ばれた黒髪の少女――後岩準(のちのいわ じゅん)――は、そう言うと店内をきょろきょろ見渡して手に持ってた紙の束を例のテーブルの上に置いた。
「柳田先輩、じゃあ、いろりょんがチョコ仕入れから帰ってきたら、その注文見せてあげてくださいよ」
「お嬢様は、またわらぞうりか何かの資料報告書でもお求めですかしら?」
「ちがうちがう、夏に行った浜辺のあたりのお魚さんの資料、資料。じゅんさんの田舎がその場所と近くて、こまかい地名を知ってたからおしえてもらってね、そのあたりの資料を探してもらおうと思ってんの。じゃ、ごきげんばいばーいー」
 言葉尻とはうらはらに、丁寧におじぎをすると一二三は中山くんにガラス戸をあけさせて、準といっしょに店から出て行った。

「これ、ぜんぶこのお店に注文すると手に入るんですかねぇ、すごぉい量ですけどぉぉ」
 テーブルの上に載せられた紙の束をぺらぺらとめくっている円。中には、こまかい地名や字(あざ)名がいくつもいくつもいくつも、一二三がいろえんぴつで書き込んだとおぼしき魚の名前(実際そこで漁師のおじいちゃん達といっしょになって釣ったやつ?)と共に箇条書きで書かれている。
「ヨメナイ カンジ ノ チメイ モ イッパイ デスネ」
「ほんとだぁ、読み方むずかしそぉ〜」
「だいたい、わかるヨ!!」
「――?!」
 いきなり、聞き覚えの無いトーンの声が耳に飛び込んできたので、円とI-836は肩をびくっと跳ね上がらせて同時に同じ方角を向けて無言で顔を向けた。
 そこには、いろんな色のセロハンに包まれた四角いチョコレートのお菓子を新聞紙の四角いうつわに買い物袋の中からドサドサと入れている、この店の者であり、おなじ悟徳学園にかよう一学年上の生徒でもある千秋伊炉里(ちあきいろり)が立って居た。
千秋伊炉里

「あ、また気づかれないうちに……"いろりまにか" 居る」
 柳田先輩が少し笑いながら草色の封筒を伊炉里に渡す。
「いつのまにか を、そういう風な新語に改造するのやめてくださいヨ!! 柳田先輩!!」
「うふふふ」
 封筒といれかわりに伊炉里が渡して来たチョコを手にしながらまた笑う柳田先輩。
 円とI-836はキョロキョロしながらふたりの様子を見ている。
「ど、ど、どどどどど、どこから入って来たんですかぁぁぁぁっっっ?! 胆ボールがびっくりしましたよぉぉぉっっ!!」
「ああ、おもてじゃないほうから入ったからだヨ」
「えっ」
 伊炉里がゆびさす方角を見てみると、本を陳列してる棚と棚の間のせまい通路のその奥から、ぴゅーっとひとすじ隙間風が入って来ていた。
「でっ、でも、壁じゃないですかぁぁ、板のっ!!」
「おしてみな」
 柳田先輩が両腕をつきだすジェスチャーをしたので、円が突き当りの壁を押してみるとパカッとその部分の板が扉のようにひらいて、裏通りの路地が見えた。
「うっわ、ずるいっ!!!!! からくり屋敷書店なんですかぁっ、ここはっ!!!」
「……ずるいって言われたのははじめてですヨ、柳田先輩」


 柳田先輩が伊炉里から数冊分の古い雑誌を受け取ってるあいだ、円とI-836はこの壁にも隠し搬入口があるんじゃないか、と、ずらりと並んでる本も見ずに本棚の間をいったり来たりして狭い店内の壁板をチェックして廻って過ごしたのだった。



(2014.10.05 氷厘亭氷泉)