えんすけっ! おはしパワーの異常な訓練

「スガリン、なにしてるのぉ?」
 悟徳学園のカフェテラスで今野円(こんのまどか)が笑顔で尋ねる。

 牧田スガ(まきたすが)は、じーーっと眼を細めて真剣な顔をしている。
「実戦訓練」

「くんれん――? おしぼりを焼却処分する訓練なのぉ?」
「タイヘンソウデスネ」
 確かに、119%真剣そのものな顔でスガがやっているアクションは、厚いタオル地の大きいおしぼりを四ツ折りくらいにして朱色の塗り箸で挟んで持ち上げてるという行動で、円の言ってることも間違った感じの発想ではない。
「……そ、っ、そんな、訓練じゃないよっ」
 繊細な箸に対するおしぼりの重さがかなりズッシリなのか、スガの指先はぷるぷるぷるぷる微振動をつづけてる。
「じゃぁ…………」
「ナンデス? ナンデス?」
「わかんないなぁぁぁぁ、はっちゃん何だと思うぅ?」
「エ……、スイリ スルンデスカ。ソウデスネェ……」  円の向かいに坐ってるI-836は視線をちこちこ動かしながらスガの行動を、しばし眺める。
 厚いおしぼりを塗り箸でもちあげ……、しばらく目の高さあたりで停止させて、おろす。停止させて、おろす。
 ――この動きが、大体おなじ定まったラルゴのテンポで繰り返される。
 しかし、I-836の視線の先はいつの間にかその箸の動きではないものを追いかけ出したのか、うぃーんと右から左へとテーブルの上をカーブを描きながら動いて行く。
「なんだと思うっ? なんだと思うっ?」
「……ムサシ ニ オソワレナイヨウニ スキヲ ツクラヌ クンレン……」
「えーっ、ボクデン・ツカハラはおなべの蓋でガードしてるでしょぉぉ、これはおしぼりだもぉん、ちょっと違うんじゃ無いかなぁぁ〜」
 円が少し得意げに塚原卜伝なポーズでノートをバシッ! と宙に構える。
「……そう、違うよぉぉ、はっちゃん」
 スガは更に指をぷるぷるぷるぷるさせながら箸の動きをつづける。
「シカシ ソノ ココロガマエ ハ ヒツヨウデス」
「どうしてぇ?」
 円が口をひらくと同時にI-836が腕をスガのほど近くに向けてゆびさしをする。
 円がその先に向かって、さっきI-836が動かしたようにテーブルの上をカーブを描きながら、つつつつつ……と眼を動かすと、その先にはちょこんとした何かが動いてるような姿が見えた。
 悟徳学園のカフェテラスはマホガニのテーブルだが、そのテーブルの木の色と同じような色の何か。
「……ああぁぁぁぁああああぁぁぁぁあああぁっっっ!!!! スガリンンっ!!!」
「えっ、なに……」
 スガの精神はまだ全て箸にそそぎこまれていたが、円が無限の無言でゆびをさしてるのに気が付き、スッ――と視線を動かしたとたん、その精神は堰を蹴倒してボコボコと飛び散った。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!! クモっ!! クモっ!!!!」



 I-836が、1センチにも満たない大きさのちいちゃい蜘蛛を、ひゅぅと圧縮エアーを使って真昼のひかりが差し込むカフェテラスの窓辺から学園の庭に飛ばした頃、牧田スガはイスの上に体育坐りをしてガタガタふるえていた。
 明らかにさっきの指先の箸のぷるぷるよりも揺れている。
「ホウジョウ シテ キマシタ」
「はっちゃんは放生をして徳を積んでも、閻魔様の履行命令とかには関係ないから意味ないよぉぉ」
「ナンデスト」
 すこしほほえみながらI-836が受け応えるのを見ながら、円はスガに近寄って背中をぽんぽんする。
「もう居ないよぉ」
「……そう?」
「だいじょぶだよぉ、ほらっ、テーブルの上はもうアパラチアの山々の西側のように何もないぃ、何もないぃ」
「ほんと……?」
 チラッ、とスガが膝に伏せた顔をもたげてテーブルの上の平原を見る。
「ねっ!」
 円の声のあとにつづいて、チラッ、ともういっかい見る。
「――スガリン、モーションがプレーリードッグみたいだよぉ」


「で? けっきょくこのおしぼりは何のトレーニングだったのぉ?」
「こう……いかに大きい……焼く……」
 まだ、大嫌いな蜘蛛が間近に迫ってた事件に対しての恐怖が残ってるのか、スガの言動は若干おかしい。
「えっ? 焼く……、はじめにまどかが言ったのとなんか対して変わらない気がするんだけど」
「おしぼりは焼却しないよッ」
 スガはそう言いながら携帯電話をテーブルの上を少し気にしながら置くと、ピピっと操作をしだす。
「ナンデスカ?」
「あっ、スガリンのモバイルはいいカラーだねぇ、都にかぶれた戦国大名の屋敷の書院の畳みたいないいカラー」
「……まどかちゃんだけだよ、そんな譬え方でこのケータイの色を語るのは」
 スガはそう言いながら派手な色づかいのGIFアニメがぴっぴっと動いてるサイトが映し出された画面を差し出す。
「あっ! これぇ、ヒッピー幽霊のお店?!」
「……ハッピイバーベキューだよ」
 ハッピイバーベキューは、円たちの住んでるあたりの国道沿いなどに数軒点在している食べ放題の料理屋で、焼き肉やおすしやスパゲッティやピザや綿あめ等、お店の名前の割には節操もなく色んなものを提供しており、高校生や中学生たちもゾロゾロと入り浸ったりしている店のひとつだ。
 スガは画面を円のほうに向けながら、少しサイトをスクロールさせていく。
「――これ、の訓練なんだよ」
 そこに映ってたのは、大きな大きな分厚いベーコン。週刊誌をタテに半分に割ったぐらいの大きさ――と、見える。
「えっ?」
「これを、手早く、過不足なく、いいタイミングでお店で焼けるように」
 スガがパッと差し出す先ほどのおしぼりは確かに、畳まれた大きさが、このでかいベーコンとだいたい見た目でおなじぐらいだ。
「オモソウ デスネエ」
「さっすがスガリンだねぇ、余念が無いよ。ヒッピー幽霊の新商品への対策訓練にこんなにぷるっぷるしちゃうなんて」
 おしぼりに指をぽすぽす突きさす円。
 これが焼きたてのでかベーコンだったら、もうその指先はテッカテカであろう。
「……まどかちゃんは推してくるねぇ、そのあだ名を。……折口先輩並の命名推し推しだよ」
「だってぇ、このお店のマークの絵、アメリカバイソンの生首を食べようとしてるヒッピーの少女にしか見えないんだものぉ」
 そういいながら円は、画面の左上に店の名前といっしょにニコッとしながらバイソンの顔と並んでる女の子のイラストを凝視する。
「都にかぶれた戦国大名、と同様、そんな風に見えるのはまどかちゃんだけだよッ」
 そう語る牧田スガの食欲の秋は、まだクラウチングスタートをしたばかりであった。



(2014.09.28 氷厘亭氷泉)