えんすけっ! 良いおなまえかげん

「はっちゃん!! こっちまではーやーくーっ!!」
 今野円(こんの まどか)が両手をぐんぐん振って渡り廊下から声をはりあげる。
 その向かった目の先からは、I-836が小さなダンボール箱をかかえてえっちらおっちら運んで来る。
 ビューンとものすごいメカパワーで駈けたりすることまかりならぬ、大事なものが、ダンボール箱の中には入ってるのだった。
「キンチョウ……シ マス ネ……」
 えっちらおっちら高精細に歩みを進めるI-836。
 渡り廊下にあがるちょっとした段差も、慎重に、慎重に、足元を凝視しながら、前方に注意しながら、足を進める。
「はっちゃぁぁぁん!! だめだよっ、ちゃぁんとバックにも注意! ちゅういぃぃぃぃ!」
「ハッ」
 I-836が首を後ろにギュンっぐるッと光速で向けると、バーベキューソースで3回煮込んだような色に古茶びた新聞紙の分厚い束を、胸からおでこの先あたりまでのうず高さ積み上げてかかえた南方楠美(みなかた くすみ)が数メートル後方に近づいてるのが目に入った!!
「アキラカニ アシドリ ガ スキップ……!! キケンデスネッ!!!」
 楠美がかなりのハイテンションスキップで近づいて来てることを察知したI-836は、不測の事態を回避するために渡り廊下にあがるための段差からサッと片足をおろして、廊下の端っこにスーッと脇移動する。
 大体、時を同じくしてI-836のいる座標軸近くにまで近づいて来た楠美は、そのまま幅広いスキップのステップで新聞紙のたばをかかえたまま、渡り廊下にあがるための段差にスッとあがろうとして、ズッと足を踏み外した。

 ガ
 ゴ
 ズデーン!!!!!!

「わぁぁぁぁぁぁぁぁっ、南方せんぱいぃぃぃっ、だいじょぶですかぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!?」
 例のうすら汚い新聞紙がばっらばらに散らばってしまうかと思ったが、ところどころこよりで結んだり縛ったりしてあったためにそれは回避された。
「これは無事だ」
 ずっこけたままの姿勢から、上半身だけをおこして、新聞紙の束をぱらぱらぱらッとめくって中身を確認してる楠美。
 が、すべったときに段差で引っ掛けたためか、楠美のうすら汚いTシャツのほうにズバーッとかぎ裂きのような穴があいてしまってる。
「でもぉっ、シャツにかまいたちな穴がぁぁっ!!」
「なにっ?!」
 目の先は新聞紙にそそいだまま、左手でもぞもぞとシャツのありさまを手でさぐる。
「おっ、ソステン着けてなくても安心な位置でたすかったな」
「なんで、急におっぱいバンドのことはスペイン語で呼ぶんですかっ!!」
「なんとなく、"ブラジャー"よりはおハイソな感じのお名前にメタモルするだろ」
「スペイン語だとそんな感じですかぁぁ?」
「情熱値がアップしそうだろ」
 でも南方先輩だいたいいつも着けてないじゃないですか、という言葉を円がのどもとからピューと送信しかけたとき、えっちらおっちらとI-836がまた渡り廊下のほうに近づいて来た。
「ホカニ ケガ ハ ナカッタデスカ」
「うー、おそらく、痛みは特にないからっ」
 うず高く積みあがってる新聞紙の束の下のほうまで目を通しながら答える楠美。何をチェックしてるのかは、円やI-836の目から見て全然わからない。
「それ、何なんですかぁ?」
「新聞紙のあいだあいだに標本が入ってんの、ひょうほん」
「あ、アサガオみたいなのですかぁ」
「これは、みんな根っこだけど」
 そういうと楠美は、よいしょと再び新聞紙の束をおでこの高さまで持ち上げて、渡り廊下にあがる段差をホイホイと登って行く。
「根っこ? ……あー、びっくりしたぁぁぁ、猫かとおもった、先輩、気をつけてっ、くださいよっ」
 円は渡り廊下の上から、ゆらゆらしてる新聞紙ビルディングを押さえながら横にはりつく。
「猫のヒゲとか? これだけの量はさまってたらうすら怖いなぁーーーっ、いやだよー、それはーっ」
「せんぱいっ、笑い揺れないでくっだっさいっ」
「……ところで、あっちはなんであんなにスローモーションなの?」
「はっちゃんですか? いまですねっ、折口先輩が個人的に注文してたぁ特別製本の本が届いてたらしくてぇ、厳重ぅぅぅに! 届けるんですよぉ」
「がっこうが配送先だったの? すごいな」
「違います、違います。なかなか、複雑なルートなんですよぉ、折口先輩がともだち? に勝手に作ってもらった本らしいんですけどぉ、気に食わなくて、先輩が自分の考えた最強の装丁に"ぐれぇどあっぷ"させるんだって言って、そのともだちの学校にいる装丁が得意なひとに頼んでぇ、その装丁のひとがまどかのクラスの桃里ちゃんてコとおともだちでぇ、それでまどかが折口先輩から頼まれぇ……」
「なるほろ、手渡しでってことで向こうからここまで渡って来たわけかー」
 I-836はまだゆーっくり、慎重に、慎重に段差をのぼっている。
「そっこまで大事にあつかう必要はないんじゃないかー?」



  「この箱のなか?」
 折口忍(おりくち しのぶ)がダンボール箱のガムテープのはしを爪の先でちりちりめくろうとしながら言う。
「あっ、折口先輩っ、はっちゃんがあけます!! はっちゃん!!」
「おぅ?」
「ヒラキマスッ」
 I-836がとばくのつぼふりが〔はいりますっ〕と声をあげるような調子で言うと、ダンボールのひらき目にシューっと指を走らせる。すると、ぱかっとガムテープに自然とミシン目よりもこまかい微細な切れ目が入る。
「あんた、切れ目がはいったところで、よいしょっと押したりしないと開かないじゃないのさ」
「わっわっわっ、そうですかぁぁぁ……っ!!」
 円があわててるのを横目にして、ぱりぱりっとダンボール箱をひらく忍。
 繭玉みたいなプラスチックの梱包材がいくつか詰められてる中に、和紙でつつまれた本が1冊入ってた。
「うわぁぁぁ、みせてください、みせてくださいよぉぉ」
「ミタイデスネ」
「よし、あけてみましょう」
 忍はI-836のほうに向かってイスに腰をかけ直すと、和紙をつつみをといて中に入ってる"ぐれぇどあっぷ"された装丁の本を取り出す。
「あれっ、表紙に何も書いてないんですねぇ」
「題名が気に入らなかったから、それもこれから書くんだよ」
 そういうと、柿色のボールペンでさらさらとタイトルをデザインしながら書いていく忍。
 円とI-836はずいずいと近寄って 「オオー」
「題名はこっちが考えてやったのにさ、"かんすけ"と"すぱい"……向こうが間違えて、ひとつ前の案を刷っちゃって、困ったもんだ」
「題名にインスピレーションをつぎこんでますものねぇぇぇ、折口先輩は」
「題名にも、っていいなさい」
 すーっと引いた文字のアウトラインの中身を、同じ色のボールペンで埋めて塗りつぶして行く。
「おぉぉー……すいすい書きますねぇぇぇ、まどかには出来ない技ですねぇぇぇ、先輩ぃぃ」
 忍の文字がバシッと入って出来上がった表紙は、達筆? というよりも、うねうねぐにゃぐにゃで、円には一発では何と題名を書いたのかぜんぜんわからない。もちろん、I-836の図像認証解読もエラーが出ている。
「出来た」
「おぉぉぉぉぉぉぉ、これってぇ、縦書きですね」
「無難なところから攻め寄せてきたな」



 忍が最近雑談の中でつぶやいてた作品をあつめたその本に書かれた『すぱい見物左衛門』という文字を、すらっと読むことが出来たのは、しのぶさま文字判読のプロ・牛島績美だけであった。



(2014.09.14 氷厘亭氷泉)