えんすけっ! ウルシのぞぞっぞぞ

「ジャア イッテキマス」
 そう言って、I-836が出発してから、時計の針は角度でいうと45度分くらい進んでいた。

 夏の少し涼しい風の吹くある日のこと、今野円(こんの まどか)のもとに学園の先輩である折口忍(おりぐち しのぶ)から 〔ちょっと、I-836を連れて行きたいから、たのむ〕 というイキナリな連絡が届いたのが事の起こり。
 髪をととのえるのもそこそこに電車にのって3駅ぶん、指定された駅のホームにI-836と一緒に行ってみると、忍が右手に持った白い傘を立てサッサッと軽く振りながら、こっちを向いていた。
 そのすぐ直後が――「ジャア、イッテキマス」――なわけなのだが、忍とI-836が電車に乗り込んだのを見送ったあと、円はついうっかりして、戻る方角とは逆の電車に乗ってしまっていた。
 このまま乗ってしまっていては、とんだ最果て地方にまで到達してしまうッ!! ――と、円が気がついたのは逆方向に発進してから4駅ほど過ぎた頃。これは れんたる のお礼だよ――と、忍先輩から手渡された「匂い米」についての本をじぃーっと見てたことも、逆の電車に乗ったことにぜんぜん気がつかなかった原因になっていた。

「うっわぁぁぁぁ、すごくトラブルぅ!!」

 円はそう叫びながら急いで電車の扉に向かう。まだ次の停車駅に到達するまでには数分かかるあたりの距離。
 じたばた足をあげさげしつつ、見覚え薄い、というより、ほとんど眺め見たことのない車窓からの景色を目の前に揺られる円だった。

「うっわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 ホームに降りた円が電光表示を見ると、次の電車が到着するまでの待ち時間は18分。良く考えると、もうひと駅、逆の方向に向かってから降りていれば、この駅は通過してしまう次の電車に乗れたのだった。
「……みんな、駅でぼーっと何もしないで電車待ってるときとか、よく平穏な顔して過ごしてられるなぁ」
 と、ホームに並んでるひとの固定した姿勢を観ながら、円はホームを歩いて時間をつぶしていた。
「あっ!!」
 ホームをいったんぐるりと一周したころ、改札などがある地下階から階段をのぼって来るひとつの人影に円は自然と大反応。頭にチャブクロで売られてるチャブクロリボンをつけてるその人影こそは、他の誰でも無い、牧田スガ(まきた すが)だった。
「スガーリーンっ!!」
「どせッ、まっ、まさか、なぜこんなところにまどかちゃん……!!」
 円がぴょんぴょんとシッケンケンのような軽やかステップでかけ寄ってくるのを受けて、スガは過剰に見えすいたオドロキをもってそれに応戦した。
「あれ、はっちゃんは?」
「……残念ながら、はっちゃんは……」
「えッ、どうしたの、何っ?! ……えっ、もしかしてあそこにっ?!」
 そう言いながら、スガが指を駅の外、地図上な方角で言うと、真西に向ける。
「あそこって何? ……ば……? ばさ……馬崎補聴器……?」
「ちがうよっ!! その先の信号のあたりのっ」
「信号あたりのぉー?」
 円が駅の外に見える補聴器店、中古ゴルフ店、信号機、と視線を動かしていくと、信号機の先には黄色いカラフルな壁に囲まれてる建物が見えた。
「スっ、スガリン!! ひどいよぉ、はっちゃんをどうしてリサイクルショップなんかにぃぃっ!!」
「あはは、ごめんごめん、でもほら。まどかちゃんひとりっぽっちで、電車になんか乗って、ここで降りてるなんて、相当珍しいからさー」
「えぇぇぇっ」
「珍しさ度でいったら、磯天狗が松坂牛取って行くぐらいの珍しさだよ」
「ん……でも、確かに……。まどかはじめてこの駅に降りたよぉ」
 円はパッとうしろを振り返ってあらためて駅名の表示を凝視してから、そう口にした。


「あーーーっ、折口先輩といっしょだなんて!! とんでもなく!! はっちゃん良いひとときじゃーん!!」
 電車のイスに並んで坐って、スガは円に向かって結構な音量でそう言い放った。
「でもぉ、はっちゃんを先輩たらどこに連れてったんだろぉ」
「……む。確かに、折口先輩の服装、なんかどこかに行きますみたいなこしらえだったりしたっ?! したっ?!」
「わかんないよぉ、特に特異な服装じゃなかったよぉ? ザンビアに探検に行くみたいな帽子はかぶってなかったしぃ」
「いくらはっちゃんでも、さすがにアフリカまでは飛べないでしょー」
 そう言いながら、ごそごそと手に持っていた紙袋をあけだすスガリン。
 紙袋の口がぴらっとひらくと同時に、甘酸っぱい良い香りが円の鼻の近くにもとぽとぽ飛んで来る。
「でも、あれかな……もしかしてロボットとして本格的に……」
 バサッと紙袋の口をおさえながらスガが声のトーンを落としながら鋭くしゃべり出す。
「えぇっ、なにっ?! なにぃっ? はっちゃんをロボットとして何ぃっ?」
「ほらぁ、……地雷を発見する小さいロボットみたいに、危険な場所に入る前の先鋒として切り込ませるとか……」
「えぇぇぇぇえぇぇぇえぇッ??!! ランドマインっ?! ランドマインっ?! だめだよぉっ!! はっちゃん飛行機じゃないんだからぁっ!!」
「……まどかちゃん、まだ行軍将棋脳だったの?」
 スガはちょっとあきれ気味の口調でそう言うと、紙袋の中からひとくちサイズのメロンパンのような形のお菓子を取り出して口に運ぶ。
 もぐもぐとスガのほほが動くたびに、そのお菓子のものとわかる甘酸っぱい良い香りがした。
「地雷ってのはあくまでも発想源だからね、折口先輩が遭遇しそうな……」
「ウルシの木っ!!」
 円がスガの顔の間近に近づいてそう言うと、スガは紙袋にまだいくつ入ってるのか知らないが、そのメロンパンのような形のお菓子を円の口にポイと入れてあげる。
「こ、の、まえぇっ、あ、のっ、せんぱっ、いがぁ、っ」
「まどかちゃん、口の中もごもごさせすぎ」
「あのっ――――――――――」
 ごくん、とお菓子を約半分、まずはのどに押し込み味わう円。
「このまえっ、折口先輩がねぇ、どこの……だったかなぁ、どこかの神社の狐のやしろはっ、近くに、漆の木がぼうぼうぞぞぞぞっと生えてて、うっかりものじゃなくても、あっと触ってしまって、かぶれるよって言ってたよぉぉっ!!」
「ほうほう」
 ぽろぽろと円が自身の膝の上に落としてそうになってるお菓子のかすを、手のひらを左右に動かしてナイス防御しつづけてるスガリン。
「その、ウルシのぞぞっぞぞっと生えてる森の奥地にまで先輩が行くために、はっちゃんを切り込ませるんじゃぁ……!! はっちゃんならかぶれないしっ!!」
「でも、その切りひらかせたあとを折口先輩が行くんなら、木を切ったり抜いたりするわけにはいかないから違うかな、だって神社の敷地内なんでしょ、そこも。やっぱり」
「あっ、そうかぁ……」
 ごくん、とお菓子を完全に飲み込みながら、円はがっかりした表情になってしまった。
「でも、そういう進みにくい場所だったら先輩自身は奥へ行かないで、何か機能を駆使してもらって――ということも考えられるか」
「そうだよっ!! そうだよっ!! はっちゃんだけを行かせて……、何かめずらしい像とかがあったら、パチリっと撮らせるとかぁ……!!」


「コレデ ヨロシイデショウカ」
「どれどれどれっ、よーし、見せな、見せな」
 折口忍はそう言いながらI-836の表示させた投影画面を順々に見ていく。
「ガソスウ ハ ヒキノバシ テモ ソンショクナイ ハンイ デス」 「かまわない、かまわない、大体こころおぼえのために様子がわかれば良いから」
「ソレニシテモ コンナトコロマデ トリニ クルノデスカ」
「ちょうど、前のほうがぞぞっとなっててね、でも、おまえに撮ってもらって上々だよ、上々っ」
 そう言うと、忍はI-836の肩をでかしたぞといった心持ちでぽんぽんした。
 I-836、今さっき撮影したお肉屋さんの店頭の陳列棚のならびをえんえん撮っただけの写真をこまかく出した投影画面をフェードアウトさせると、右ひじあたりに接続している完熟キュウリ型のメモリースティックを取り外し、忍にていねいに手渡した。
「もぅ、でじたるかめら は料理のとき流し場あたりに置いておくものじゃないな、うっかり転がしてあんなに水かぶっちゃうとは思わなかったもの。――じゃ、ありがとありがと、これで、ここのお肉屋は、どの部位の取り揃えが良かったか、記録できたできた」
 そう言うと、忍は個人商店とおぼしい古いたたずまいのそのお肉屋さんに背を向けて、I-836と一緒に歩き出す。
「アシタ ニハ トジチャウンデスカ?」
「そう、大昔かな、家で鶏すきなんかをする時はわざわざここに買いに来てたりしたんだけどね。今朝 かめら こわしちゃって慌てたけど、ケースが売り切れだらけにならない時間帯に間に合えて良かった良かった」


 ――駅で忍と別れたI-836は、円の待つ家にシュッと帰って来たが、その後、妖怪研究会の部室で「折口せんぱぃぃぃぃ、はっちゃんを連れてったあの日、すいりしっちゃいましたよぉー!! ウルシですねっ? ですねっ?」と言った途端に「“うるし”じゃなくて、“かしわ”」と忍に一笑されただけの円が意味を理解するのはシュッとはいかなかったのだった。  



(2014.08.24 氷厘亭氷泉)