えんすけっ! 憶測のワリバシウキウキ

鎌倉音東

 夏の暑い日の午後、さるすべりの葉が風で揺れてるその下を、鎌倉音東(かまくら おとひ)は歩いていた。
「……どこに入れましちゃけ……?」
 少しモタつきながら、蓮の葉のプリントのついたバッグの中をがさがさと何か探す動作は、少し脱水気味な感じ。
 体感気温で言えば40℃近くになってるんじゃないかというぐらいの暑さの中で歩いて来たので、そこまでスタミナ無尽蔵でもない音東は、足取りも次第にへとへとになっているのが自身の語尾の乱れからも感じとりぇた。


 音東がさるすべりの木の下でバッグの中をまだがさがさと探してると、濃い藍色の影を砂利道におとしながら、サッサッと軽い足取りが近付いて来る。
「どうしました」
 軽い足取りで音東のすぐ近くに追いついて来た柳田先輩は、凛とした口調で、暑さの疲れはほとんど見せていない。
「あの……、あれです」
「さっきは、ハートの辺りに入れてたんじゃございません?」
 そう言いながら音東の左の胸ポケットのほうを示す柳田先輩。
 音東は、サッと胸ポケットに手をあてて、〔しまったぁ……〕といった表情を浮かべた。
 こういうときの柳田先輩のするどい指摘は、妖怪研究会のみんなもこわがってる。――約一名、大量にこれを浴びせられてる娘がひとり居るので、普段は余り周囲には飛んでないが、ほんの少し油断したりしてると、プロフェッショナルな騎馬武者の行うやぶさめのような正確さで、たちまちズバッとやられてしまうから怖い。
 軽く言ってくれたり、やわらかに教えてくれたりするダケのほうが心臓にはやさしいのだけれど、なかなかそうなるようには地球も分子も廻ってくれないようである。
「あの……、先輩。あとはここをまっすぐ行けば良いはずです」
 胸ポケットから出した地図のコピーを、また手ごろな大きさに折りたたんでバッグの中にしまうと、音東はさるすべりの木の先にある曲がり角のほうを眺めた。

「はず…………」

 柳田先輩が少し眼を細めていたので、また音東は少しビクビクしてしまったが、入道雲のはしっこにかぶっていた太陽が雲から出て来て、その日差しのせいだと気づき、肩のちからが少しぬけた。
「確かに、このまえ観に行ったほこらは、近くの老人に訊いたら〔一昨年まではあった〕――なんて言われましたものね」
「今度のこれは……きっと古い感じのたたずまいのはずですっ!!」
 音東はそう言うと、さるすべりの木の先にある曲がり角の先へ歩いて行った。
 柳田先輩は、というと、たのしげに軽い足取りでその後を追尾して行く。


 鎌倉音東は、悟徳学園の図書館にずらっと並べられている地方誌・市町村誌のほとんどを1年生のうちに流し読み制覇をして、各地の民俗や伝説や昔話や俗信や年中行事や郷土料理などについて詳細なメモを取ってるほどのデータ・マニアだ。
 そのメモをとったノートや、分類データの入ったテキストファイルは、柳田先輩も目を通して、〔これはかないませんわね、便利便利〕と、なかなか形容出来ないほどの笑顔をしたというはなしだが、実際、どんな顔だったのかは当人の脳裡にはハッキリ記憶されてない。
 果てしなくドキドキしちゃって、顔はまっすぐ見てなかったからである。
 しかし、そんな高密度な鎌倉音東のデータにも、全くひっかかって来ない情報というものは、まだ世間にはごまんと散在している。しょせん、本や資料集にまとめられるときに採られたものだけに過ぎないからである。
「祭祀の項目には、単純に〔石の神〕と書いてあっただけでしたからね、それ以上はまったくわかりません」
 悟徳学園の周辺にも、案外そう言った――まだまだ散らばって放置されてるだけの――存在はあったりして、この曲がり角の先にあるらしい物もそんなひとつらしい。


「それだけしか書いてませんでした?」
「はい。文章解説もなくて、箇条書きの表みたいな場所だけにありましたから」
「なら、写したときに私が落としてたわけでもなかったのね……」
「えっ、あんなところも先輩のデータブックに打ち込んでたですッ?!」
「まぁ……徒歩でも行ける範囲ですし」
 徒歩でも行ける距離とは言うものの、ある程度の起伏のある住宅街の坂道をぬって、農道の脇を入った場所である。
 複数回、実際に行き来をしているくらいの徒歩経験者で無ければ、なかなか一発で進めるようなコースでは無かった。
 そのことを含み想いつつ、音東は〔あんな羅列部分のこともちゃんとあたまの片隅に暗記格納してる柳田先輩はやっぱりおそろしい〕と思いながら、後ろを振り向いたが、時おなじくして柳田先輩は、さるすべりの枝の上からチュピっ! と声を上げて小鳥がとびたつ姿に大注目ウキウキしており、ふたりは同時に前進しながら顔うしろ向き、という姿勢になってた。
「でも、柳田先輩からポイント指示いただくまで、全く気にも止めてませんでした。病気を治す何かなんだろうなとは思ってましたけど」
 曲がり角の先は、細く舗装も何もされてない道が続いていて、片側は深い青のトタン塀がつづいている。
「どうして急に、このほこら何て見つけたんですか?」
「いや、ぐうぜん」
「ええーっ?! だって、こんな畑の裏の葉っぱだらけの道ですよぉ? 蛇も出そうな……」
 確かに、トタンの向こうには笹やぶがところどころあったりして、ちょっと草深いし、日蔭がつよく入ってるので、湿気も高そうな雰囲気のある道だ。
「まえ、ハイヤーで出たときに、この曲がり角の前あたりでタイヤが脇のみぞにハマッちゃった――から」
 いきなり、いたずらっこみたいな口調に柳田先輩が転調するのは、本人がウキウキワクワクしながら行動している証拠なので、音東はいつもどおり安心しながら歩みを進めるが、フト気がかりなことが浮かび上がった。
「先輩……そういえば、あしもと……? いつもの靴だったような気がしますが……」
 曲がり角に入って後からの道は、葉っぱや笹やセイタカアワダチソウが、床や敷物も挟まずに堂々とおしりを置いている土の道である。
 音東は夏休みということもあって、いつも学園に履いて行くような靴とは違い、軽量な運動靴のようなものを履いてるが、ついさっき、砂利道を歩いてたときの様子を思い返してみると、靴がどろぐちょでろでろになってやしないかと思ったのだった。
「あっ――、考えてなかった」
 ほこらと小鳥にすぽっと気を取られてた柳田先輩の靴は、底にだいぶどろんこが定着していた。
「へいきへいき、家に戻る前にもう一足買って、玄関くぐるときだけ履き替えますから……それでハイヤーがハマっちゃってね……」
「……。あッ、はい!!」
「この曲がり角の先が結構、……ほら、今のぼってますけれど、坂になってますでしょ」
「ああ〜」
「だから何かあったりするかなと思って気にかかったんです」
「……ははぁ」
 柳田先輩が、〔なるべく草や葉っぱの上を歩いて泥を靴底につけないように歩行をしようモード〕に切り替えだした様子だけをジッと観察してるので、音東の返事がだんだんと生返事になりつつあったが、トタン塀のつづく坂道はそれほど長くはなかったので、先輩にそれを察知されることもなく、ふたりは〔石の神〕と資料には記載されてたほこらの前に到着していた。
「やたらと箸が積んでありますね……」
「これは確実にあれですわね……」
 ふたりが、〔歯の痛みを取ってくれるヤツーっ!!〕 と叫ぶと同時に、さっきの小鳥の仲間がピチュ、チュピッと数羽飛び立ったので、また柳田先輩の顔はそっちに向いてしまっていた。
「先輩、小鳥のほうにウキウキしすぎです」
「そんなことありませんわよ」
 柳田先輩はそう言いながら、ポケットから取り出そうとしてたミニサイズのトイカメラをそのまま押し戻していた。   



(2014.08.16 氷厘亭氷泉)