「ガガガガガガガ」
I-836が電動えんぴつ削りの音量をすごく小さくしたみたいな音を、さっきから断続的に鳴らしている。
しかし、別にどこかコンデンサーとかがこの暑さで焼けて壊れてしまったわけでは無い。
眼の部分に映ってるおめめも、別に砂嵐状態になってるわけでも無い。
「さささささささ」
そのすぐ近くでは、軽快を通り越したスピードで口井章(くちい あき)が地理の教科書のページをめくっている。
しかし、別にすみっこにパラパラアニメのひとフレームひとフレームを描いてプレビューしてるわけでは無い。
ましてや、そこから生じる微弱すぎるそよ風をほほに当ててるわけでも無い。
「ふゅーーーーー」
今野円(こんの まどか)は机の上に置いた暗記用の単語カードを並べて口笛もどきの歓声をあげている。
ホルダーから外されてバラバラに並べられたカードは、かるた取りのような景観になってるが、いまはお正月ではもちろん無い。
「……まどか、ほら、ここだよ、このあたりの気温と降雨のグラフの数値とかが範囲内」
そう言って、章は地理の教科書をみひらきのまま円の目の前に突き出す。
南アメリカや中央アメリカの雨や気温の折れ線グラフがいくつも並んでる。
「よかったぁ、そこのところだけどのグラフだったか忘れちゃったんだよねぇー、あきちゃんありがとぉぉ」
机の上の暗記カードを2、3枚ひろいあげて、円は最高気温や降雨量の数値などをおもてに、地名をうらに、桜色のボールペンで書き込んでいく。
「ところで、なにさっきから変な音だしてるの?」
教室の窓辺に手をかけたまま静止して、「ガガガガガガガ」と小さい音をたててるI-836のほうに視線を向けながら訊き出す章。
「えっ、――あぁ、はっちゃんのあの音ぉ?」
円はカードと教科書を見ながら、素っ気なく訊き返す。
「そう」
「変な音とか言うから、まどかはてっきり、とうりょうのやってるリフティング式暗記法の音かと思っちゃったよぉ」
「いや、確かにあれは変だけど、音はふつうでしょ」
とうりょう(塚崎みや)は試験期間中になると〔暗記はこれに限る〕などと言って、サッカーボールの一面にマジックで暗記する単語をかきまくって、それをぽんぽん文字が消えるまでリフティングをする。
「あれだったら、心配ナッシングだよぉ、1ヶ月に1回くらいああいう風に何か、インストールしてます、みたいなことしてるんだよぉ」
「……小さい音だけど、なんだかゴリゴリいって怖いけど」
「そうかなぁ、まどかは別にそう思わないけどなぁ、骨が成長するサウンドみたいなものでしょ?」
「あんな機械めいた音は高校球児でも鳴らないッ!!!」
「……せんとくりすとふぁーねぃび…す、と」
――円が暗記カードに地名の書き込みを終え、地理の教科書をとじると、だいたい時を同じくしてI-836も窓辺から手を離してふつうに再起動(?)したのか、とことこ歩き出した。
「スイマセン、ナルベク ガッコウ デハ ゴメイワクニ ナラナイヨウニ ト オモッタンデスガ」
「いいよ、いいよ、はっちゃん、成長は常におこたることなっかれーだよ」
「サッカレーみたいな独特のリズムで言うなよ、まどか」
「アリガトウゴザイマス」
「でも、たしかにいつもガガガガガガってなるときは家でだよねぇ、今日は急にどうして?」
「ネツ ヲ コウリツ ヨク ハイシュツ スル タメニ スコシ」
「試験に近づいたら急に暑くなったもんな、まどかもオーバーヒートしない程度に暗記がんばりなね」
「あっ、あきちゃんこそぉぉぉぉぉ、ちゃんと文法デストロォォォォイしないように英作文がんばりなねぇぇぇぇぇ」
「むっ、1日目かぁ……」
章が試験の日程を書き込んであるノートのページをひらきながらそうつぶやいてると、塚崎みや(つかざき みや)が教室に帰って来た。
「魚の骨プリンスの死神としては、英語の得点はずせないっよねー」
「……とうりょう、まだそれ忘れてないのかよ」
英語の授業でスピーチを二人一組でやらされたときの、今野円と口井章のコンビ名【さかなのほねプリンス】は、その授業いっかいこっきりのものだったにも関わらず、みやはちょくちょく口にしてくる。
「だって、最強だもん、ふとももがプリンとしてるからなんでしょ、プリンス」
「薄いズボンたくしあげたら、ふくらはぎの筋肉がご立派で、きつくて下げられなくなった誰かさんのほうが最強だよ」
「あっ、死神っ、それ……っ!! ……まどかが話したんだな……」
みやはそう言いながら円のほうをチラリと見つつ、恥ずかしさ75%な表情をする。
塚崎みやのふくらはぎは、確かに筋肉がすごい。
麻素材のうすいズボンを履いて家でくつろいでる時、ちょっと蒸し暑かったので裾をひざの12、3センチ下あたりまでたくしあげて過ごしてたら、いざ脱ごうとして、数十分間、どう引っぱりおろせばこのたくしあげた裾、下がるんだ、と数十分格闘した、というのが章の言った誰かさん――塚崎みや――のふくらはぎの話の全貌で、ほんの1週間前の出来事。
「えっ、あぁぁぁ、ごめんねぇぇぇぇぇぇ、この前、あきちゃんと【のつご】にはどんな履き物を投げると一番効率が良いかって話しながら登校してたときにさぁ、つい……」
「それって、どういうウッカリなんだよっ、よくわかんなさ過ぎるよっ?! 飛躍っ!! 飛躍っ!!」
章とI-836は、〔……のつご……ああああ、そういう手順で……そういえば塚崎ふくらはぎの話になったんだっけなぁ……〕と会話の光景を巻戻してるが、【のつご】が妖怪とはわかるものの、みやにはもちろん、チンプンカンプンである。
「もぉぉぉ、じゃ、まどかにはこれ見せないっ」
そう言うと、みやは章とI-836の肩をとって近くに招き寄せると、そのまま教室のうしろのほうに行ってしまう。
「えっ、なにぃっ?! とうりょおっ!! ……ねぇっ、みやちゃゃぁぁぁぁぁん、なぁにぃっ?!」
ホルダーに暗記カードをごちゃっと(手もとをキッチリ見てない)慌てて入れる円。
「――ほらっ」
「ワァァァァァ」
「ふーん……」
「死神ぃ、ふーん……くらいですませられちゃ……」
円のほうをピッと顔の動きで示しながら語る、みや。
「……わぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「その発声っ、演技ってのがみえみえ過ぎっ」
だいぶ、わざと聞こえるようにしゃべってる感じが見え見えの2人と1台のやりとりを耳にしながら、席を立ってずいずい近づく円。
「サークル状に密談してるんなら、その円陣の中にまどかは必要不可欠ピープルだよぉぉぉっ!!」
何とかして、2人と1台の輪の中を覗こうと、ぴょんぴょん跳ねまわる。
「……じゃ、ふくらはぎのことはこれ以上、シーだぞっ」
「わかったぁ」
「ならば、ほい、まどかがこのまえカバンにつけてたみたいなやつ、昨日あったから買ってみたんだよっ」
みやの手の上には、一本脚の真っ白い毛のもさもさっと生えた変な妖怪のマスコットがのっていた。
しかし、円がカバンに最近よくさげてた山童(やまわろ)と、目の玉がひとつである点以外あんまり似ているわけでも無い。
むしろどこか遠い国の雪山の奥にいるイエティの目撃画像の出来損ないのようだと評しても特に支障は無い。
「……みやちゃん、これぇぇぇぇぇぇぇ? まどか、いままでの期待ワクワクがばからしくなったよぉぉ」
「ぐふっ」
円の発言に、つい吹き出してそうになってしまうのを章は必至にこらえた。
「これはやまわろじゃなくて、一本足のだよぉぉぉ」
「なっ、まどかのつけてるあれに似てるでしょぉぉ、ほら、目の色の塗り方とかっっ」
「やまわろとはぜったい違うよぉ、いやだよぉ、こんなハイパー男らしい雪の妖怪みたいなのぉ、あんまりいい趣味じゃないよぉぉぉ」
「なにおぉぉっ!!」
それから試験の期間中、塚崎みやの机の上にはデデンとこの一本足のマスコットが消しゴムと並んで置かれつづけ、教室の前面にある時計で時間をときどきチラッと確認する章の脳内に異常な笑いの吹雪を巻き起こしたのだった。
(2014.07.13 氷厘亭氷泉)