えんすけっ! ショルダーの探偵

「いててててて……っ」
 少し雲の数の多い朝。
 口井章(くちい あき)がうなじから右肩のあたりを手のひらでさすりながら歩いている。

「ヒロウ デスカ」
 I-836が章のうしろすがたを見ながら訊くと、章は違う違うと言う回答を首の動きで示す。
「あ、わかった! 試験にそなえて猛勉強とかしちゃってるんでしょぉぉぉ、あきちゃぁん」
「あー、ぜんぜん違う、まどかのその跳ねっぷりのほうが、相当に痛い!」
 今野円(こんの まどか)はぴょんぴょん飛び跳ねながら、章を指さしている。
 ぴょんぴょん跳ねるたびに、カバンに提げている山わろのマスコット(日野寿にまた注意されると弱るので、スモールサイズ)が、手に持ってる枝を激しく揺らす。
「えぇーっ、そんなことないでしょぉ、今度の範囲なかなか難しそうじゃぁぁぁん、数学」
「そう言いながら浮かれ跳んでらっしゃるそちら様は、どうなのさ、スウガク」
「えっ?! まどか?」
 ぴたっとジャンプを停止させる円。
「……。だいじょぶだよぉ」
 ポン、と章の左肩に手を置いてニッコリ。
「いま、少しだけ懊悩してただろ、いま、少しだけ試験の日に憂鬱を感じただろ、まどかっ!!」
「あきちゃん、わかったよぉ――ふふふぅっ、今朝はカバンをめちゃくちゃ重く感じ取っちゃってるでしょぉぉ、貴女のそのショルダーっ!!!」
「……う」
 章がソワッと肩をすくめる。
「ドクロ ガ ギッシリ デスカ」
「そんなもの入ってないよっ」
「わかってるよぉ、わかってるよぉ、この探偵マドカは見ずともわかるよぉ」
 髪の横ハネを整えながら円が言う。
「あきちゃんの肩への重心の掛け方がいつもと違うところから、すぐに察知しましたぁっ!!」
「うそつけ、さっきポンと触ってわかったんだろ」
「……そのカバンの中にはいつもより重たいもの……つまり、先週発売されたというウワサの、ブ厚い『抑留の達人』の超絶攻略テクニックブックが入ってるねぇ、そうでしょう?」
 章のツッコミを聞か猿をして、びしっ、とカバンに指をつきたてる円。


 ゲームセンターで稼働してる人気の業務用ゲーム、『抑留の達人』の超絶攻略テクニックブックは、例のスコップ型のコントローラーをどのように操ると美しく作業コンボが決められるかについて、どんなコンボで得点を重ねれば特別に登場する黒パン(マルガリンつき)について、一定の得点に合わせてクリアすることで登場する収容所(ラーゲリー)についてなどが載っているもので、ステージごとの動きやポイントなどを帯グラフのようにずらーっと掲載してあるのでページ数がやたらとブ厚くて、職業別電話帳みたいな感じになっている点が、話題になったりしてたのだった。
「持ってないよ、そんなの。持って来たってしょうがないでしょ、悟徳学園にゲームセンターがあるわけじゃないんだから」
「えーっ、ページ見ながらイメージトレーニングしたりしないのぉ? ほらぁ、下敷きとかでこうやってぇ」
 スコップなコントローラーで、凍ったツンドラを掘る『抑留の達人』アクションをする円。
「まどか、きもいよ」

 軽く流した章だったが、心の底では――〔なんだその動きはっ!! そんなスコップリズムじゃステージ2で中級得点すら取れないぞっ!! スコールダモイ(早く帰れる)すら言われないぞっ! まどかっ!!〕――と、叫んでいた。
 いっぽう、探偵マドカは、うーむと眉間をきびしくしつつ推理を進めている。
「んーーーーーーっ、じゃあ……水筒を……1ガロンぐらいのにしたっ?!」
「1ガロンってどのくらいだよっ」
「えーとぉ、3700……ぐらい」
 円はまぁるく手のひらを広げて大体の大きさを示そうとしてるが、いっこうピンと来ないような雰囲気。
 リットルとガロンの溝は大きいのであった。
「3780ミリリットル デス」
「そんな焼酎のデカいサイズみたいなのどうやってこのカバンに詰めるんだよっ!! 切るのかっ? 分割かっ?」
「ジャア ナニガ ハイッテルンデス」
 I-836がごはんをおはしで食べるジェスチャーをすると、章は再び首を横に振る。
「別に、変なものは入ってないし、……そもそもカバンは重たくないってば」
「えっ、そぉなのぉぉぉぉぉぉぉぉ?! だって重たく感じてるんでしょぉぉ?」
「探偵マドカの観察眼では、軽犯罪も解けなさそうだな」




「なんだぁ、じゃあ、リュックサック背負って自転車で走り回ってたせいで "疲れた" ってだけなのぉぉ? 困るよぉ、あきちゃぁぁぁぁん」
 1限目の授業が終わった直後、しゃがんで章の机に首を乗っけながら円が文句をたれる。
 教科書とルーズリーフをしまいながら章は無表情。
「――何が困るんだよ、まどかが勝手に妄想推理してただけだろ」
「だからぁ、あきちゃんがすぐぅ、言ってくれれば良かったんだってばぁ〜」
「……別に、筋肉痛と日焼けでちょびっと痛い程度のこと言わなくたっていいでしょっ」
「ええーっ、さびしいよぉ、それっくらいまどかがこうしてチカラになってあげるしぃぃ」
 と、言うと円は何やら四角くて真っ白紙を取り出して、章の机のうえに置く。
「なに、これ?」
「これに〔今野さんと一緒に保健室に行きます 口井章〕って、置き手紙して出発しよう!!」
 円が眼をキラキラさせてそう言う。
「……イヤだよ、あの変なせんせいに診てもらうの」
 章はそう言うと白紙をぴらりと円の手もとに押し戻しする。
 悟徳学園の養護教諭である高峰先生は、ドクター高峰と生徒たちの間では呼ばれたりしてるが、「脳改造をするのが趣味」だとか「悪魔にいけにえを渡してて年をとらない」だとか「旧式なタイプライターのカタカタ鳴る音しか愛してない」だとかいろいろと勝手気ままな噂をされてたりもしてる隠れたデモニッシュな人気者でもある。
「ええーっ、ちゃんと効くおくすりとか塗ってもらったほうがいいよー、高峰せんせぇにー」
「だってまどか、この前ヤギの何だかクサい玉たべさせられたりしたんでしょ? あのドクター高峰に 〔うなじがヒリヒリ痛みます〕 とか何とか言ったら、なに塗られるかわかったもんじゃないっ、いいよ、別にっ」
 章はそのまま肩をコキコキ動かしてイスの背もたれにドカっと背中をつけて頭を後ろに反らした。
「えー……、わかったよぉ、でもあきちゃん、今度からはちゃんと日焼け止めは塗りなねぇぇぇ、フェイスからショルダーにかけては大事だよぉぉ」
「おっ、そこはわかったんたんだな、名探偵。……玄関にまでは持って行ったんだ、持って行ったんだよ? でも、そのまま置きっぱなしにしたのが敗因……ぶっ、何してんのっ、おいっ、まっどか……!!!」
 後ろに反らせて天井のほうを向いてる章の目の前は、瞬時にパッと真っ暗闇。
「その角度は窓からの日差しが厳しくジャーっと当たるからぁ、顔にノブスマ系ひんやりタオルを!!」
「変にサービスのいい床屋かっ!! ……やめろっ、咬むぞっ!!」



「くしゅん…………」
 章がイスから跳び起き、床屋へ変身した探偵の肩に冷たいタオルを押しつけ返してた頃、高峰先生は保健室の自分の机でクシャミをしていた。
 組んだその膝の上でひらかれてた古びた本のページはハラリレラと1枚前に舞い戻る。
「……あ、もうそこ、読まなくていい」
 そうつぶやくと、フッと口から息を吹いてラレリラハとページを吹き戻す。
 見開きには、ドイツ語の文章がズラッと並んでいるが変なトカゲのような形の飾り罫に囲まれた箇所には何か薬を造る手順を示したものなのか、寸胴な鍋を火にかけたり、何か粉末を溶いたり、アリゲーターの首を斬り飛ばしたり、といった銅版画タッチの挿絵が挿まれている。
「……ワニ頸部……これで日焼けの薬……良いッ」
 高峰先生はそうつぶやきながら、今度はゆびでページを進めると、またドイツ語の羅列の中を読みふけっていった。
 悟徳学園の保健室は、きょうもまた閑静だった。



(2014.06.22 氷厘亭氷泉)