「ぎょわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
空から垂れ込んで雨をもたらしてる梅雨どきの雲をブーンと押し上げるかのような大声が、悟徳学園の一角で響き渡った。
イスは横倒しに荒れて室内に散らばり、カーテンはだらしなくしだり落ち、机の上には砂塵がこびりついたり、壁には無駄に画鋲や釘を抜いたあとの穴がつらなってる――大きなのあがった一室はそのような光景だったが、この光景自体は大していつもと変わらない。
もともと、この部屋は開拓時代の西部の宿場町のように、うすら荒れているのだ。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! なんですっ、先輩っっ、その強烈に素早く加速して近づいて来そうな、まがまがしいもんはっっっ!!!!!」
大声の持ち主・早川孝子(はやかわ たかこ)はそう言いながら、科学準備室の壁にぴたっと背中をつけてあとずさる。
彼女が〔まがまがしいもん〕と呼んだその物体は、目の前に立ってる南方楠美(みなかた くすみ)の手の上から首まわりそして足元にかけてずらーっと身の丈ながく存在してる多毛類的な物体。
ゴカイの仲間のひとつらしいが、色もド派手でけばけばしい。
「ええっ、恐がるなよ、模型だから、模型、このネレイデダエ」
「そそそ…………、そのまがまがしいゴカイ、脚ぃ動いとらんからわかりますけど、そんなん大きさのもん、実物だったら、ここに居るのも無理ですっ!!」
壁に更にぴったりと背中をくっつける孝子。
「でも、噛んだりはできるんだ」
楠美がそう言うと、彼女にぐるりとぶらさがってるその多毛類の模型の首がピッと持ち上がって口の部分を、もこぉぉぉと開いた。
口の中には黒っぽい小さな牙が見え隠れしてる。
「ぎょわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「このネレイデダエ、外身の出来のいい模型だけど、実寸大じゃなくて大写しなのがタマにキズだよなー、そう思う? そう思う?」
多毛類ゴカイ科(ネレイデダエ)の生命体の模型の口を、もがもが開け閉めさせつつ、そう思う? の回数が増えるたびに孝子にずいずい近寄って来る楠美。
本人に邪気は毛頭一切、プランクトンの脇毛ほども存在はしてない。
「でも、この背中の色とかはかなり現物だよ、ほらっ、そう思う? そう思う?」
「もももも、もうっ、先輩から頼まれた資料っっ!! ここ置いときますからっーーーーっ!!」
孝子はそう叫ぶと、柳田先輩から届けるようにおつかいを頼まれた野草の地方名をプリントアウトした小冊子の挟んであるクリアファイルを床に投げ置き、科学準備室から逃げ出して行ってしまった。
「あー……、行っちゃった」
「……柳田さん、わっざわざ届けさせなくても別に教室で渡してくれてもいいのに」
楠美はそうつぶやいたが、楠美自身が自分の教室にいる時は あんまりにも無い ので、この科学準備室にも近い場所に教室のある早川孝子に渡すのを託したところで、ふつうの目から見てみれば別段、誤った届け方ではない。
「あぁーーーーー、南方先輩てば、あんなんで咬もうとするで、びっくりした……」
孝子が小さな声でそうつぶやきながら自分の教室に戻るため、もと来たみちを肩をぴくぴくさせながら歩いていた。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!! 先輩ぃぃぃぃぃーーーーーーっ!!」
「わぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
背後から今野円(こんの まどか)から声をかけられた孝子は、さっきほどでは無いにしても、その不意な元気すぎヴォイスによって胆を縮ませ、また絶叫してしまった。
「……はぁぁぁぁぁぁ、今野ちゃんか、なんだん、もぉぉ」
へたりこみそうな気のぬけぶりの声で話す孝子。
「ちょっと職員室に提出物だして来たんですぅぅ」
円の後ろにはI-836もついて来ていた。
さっきまで目の前にいた〔まがまがしい〕1人と1台にくらべると、果てしなく〔まがまがしさゼロ〕の1人と1台なので逆に落差からクラクラしそうな雰囲気でもある。
「あれぇ、早川先輩、どこか洞窟にでももぐってカメラ撮ったりしたんですかぁ?」
「えっ、そんなんしとらんよ」
「でも、先輩ぃ、服の背中がとってもアースカラーですよぉ」
円がさっさっさっと孝子の背中についてる土ぼこりみたいな汚れを手で払ってゆく。
「ええっ?!」
「あっ、これわかりましたよぉー、早川先輩ぃ科学部の部屋にいってましたねぇー?」
「ほっ……ほだよ」
孝子のシャツには粉みたいなものがついてただけのようで、円が手で払っていくと、汚れはあらかた落ちて消えた。
「以前まどかがあの部屋に遊びに行ったとき、はっちゃんとまどかは、これまみれになったりしました」
円が手をぱたぱたと叩いてついた粉末状のものを落としおえると、孝子のほうをジッと見る。
「なになになに? これってなにっ? なんか変な科学物質じゃないよねっ?!」
「これはですねぇぇ、せんぱいぃぃ……実は」
せいいっぱいの真顔をつくる円。
「フンマツ ノ ミソ デス」
「あっ、はっちゃん、だめぇぇぇぇぇぇ、まどかがシリアスに言いたかったのにぃぃぃ!!」
「スミマセンデシタ」
I-836が謝ってるのを横目に、孝子は背中に手をまわしてサッサッとシャツを触ったあと、手を鼻の近くに寄せたりしてる。
「だいじょうぶですよぉ、せんぱぃぃ、ただのインスタントお味噌汁の粉ですからぁぁぁ」
「なななななな、なんで……あっ、さっきあそこの壁に背中つけとったから……!」
「南方先輩は、ときどき粉末のお味噌汁だけしかお昼に摂取しないシーズンがあってぇ、そのとき部屋のあっちこっちにこぼしちゃったりするんですって!! まどかの時はイスの上に――ねぇ、はっちゃん、あんとき坐ってびっくりしたよねぇぇぇ」
「スカート フンマツ マミレ デシタ」
確かに、そう言われてみると、さっき科学準備室に入った時、ごみっポイにおいにまじって和食な香りがどことなく香ってたような……という気分になる孝子。
「……ほんと、珍しいものばっかりの部室だねえ、あそこも」
「また4限目サボってたんですか」
少し時間がたって昼休みの頃、楠美が幅の大きい多毛類の模型のリアリティあふれる口を動かしながらしゃべっていると、寺田とらが部屋に入って来た。
「とらちゃんだー」
「うわ、なんですか。そんなので腹話術大会にでも出るんですか」
配線でつながってるコントローラーの開閉のスイッチを押して、ぱくぱく模型の口を動かす楠美。
とらは特に視線もあわせずに、机の上に散らばってる砂を小さいホウキを使って掃いてゆく。
「これで優勝はつらいだろー、とらちゃんー」
まだ、多毛類の模型の口を自分のしゃべる言葉にあわせて動かしてる楠美。
「イスくらい横倒しにしたらモトに戻してくださいよ」
「それはそのままでいいー、このネレイデダエを床で歩かせるときにそのイスを乗り越えさせるから」
「自走はしないんですか、このゴカイ」
机の上にあったテキトーな板紙の上にホウキで集めた砂を片づけながら、とらはチラッと楠美がマフラーみたいにまとわせてる多毛類の模型を見る。
「脚は動かない、すごいザンネンだな」
「この、口ぱくぱくさせるコントロールのヒモにだなぁ……こうやって……」
「うわぁ、それって思いっきり蛍光灯の延長ヒモじゅないですか」
「そうそ、ペングインのだ、たったの50セントだぞ」
楠美はそう言ってニッコリ笑うと、引っぱりやすくするために先端に樹脂製のフンボルトペンギンがついてる蛍光灯の延長紐を、おくち開閉コントローラーにぐるぐるっと結びつける。
「そして、こうだ」
そう言い放つと、楠美は多毛類の模型を蛍光灯の延長紐でずるずると引っぱって室内をぐるぐると逍遥しだす。
楠美が床に横倒しにされてるイスをぴょいと跳びこえると、ずるずるとヒモで引っぱられてる多毛類の模型はイスの上をぎこちなくのりこえながら引きずられて進んでいく。
「……で? それどうしたんですか、その大きなゴカイの模型。昨日に巨大なダンボール箱がココの山の上に積んであるのには気づいてましたけど」
準備室の隅に積みあがってる楠美のノートや、どこの物だかいつの物だかよくわからない採集標本の入った小箱の山を見ると、無造作にハサミであけられた大きなダンボールの破片が乗っていた。
「アルゼンチンから贈って来た」
「えっ、今度はアルゼンチンですか」
「これの写真が載っててさ、パソコンで、気にイッタゾ、って書状送ったら、向こうから贈って来た」
「……こんなプレゼントもらうなんて、さすが……いや、どう言ったほうがいいのかわかりません」
そのうち、不正に生の物体も贈り込まれて来るんじゃなかろうかと不安になる、とら。
「海をまたいだってホンのお向かいさんだ、ろぉぉぉぉーーーーーーーーーーー」
模型をヒモで引っぱりながら、まだ室内をぐるぐる回って遊んでる楠美だったが、さっき孝子が逃げ去るとき床の上に置いていったクリアファイルの上を知らずに踏んで歩いてしまい、ずるーーーーーーーっと足をすべらせた。
「太平洋より小さいんだから、に落ちてるものはちゃんとまたいでください」
とらはそう言いながら、ばらばらになってたアルゼンチンのダンボールを小さく切って折りたたんだ。
(2014.06.08 氷厘亭氷泉)