えんすけっ! 蹴っ飛ばしサイダー

「はっちゃん、はやくぅ!! はやくぅ!!」
 今野円(こんのまどか)が元気ゲージあふれ過ぎる大きな声で教室から飛び出す。
 悟徳学園の廊下は幅広なので、ぶつかるおそれは特にないが少々乱暴な駈け出し発進だ。――もちろん、日野寿にかち遭ったりしたら、ただちに注意猛撃を受けそうな速度である。
「コレコレ ワスレテマスヨ」
 I-836は、真っ赤な柿色の表紙の本を右手にあげて、うしろからトコトコとついて来る。
「あっ、たいへん大変!! ありがとぉ」
 机の中に入れっぱなしのままだった本をI-836から受け取って、かばんの中に丁寧に入れる。
 昨日、妖怪研究会で積み重ねたりダンボールに入ったままになってる既刊本を整理したときに、柳田先輩からいただいた本の1冊だ。
 円はそのままのスピードで階段をすたたたたと降りてカフェテラスの方に向かう。
「柳田先輩のこの去年のホン、おもしろかったねぇ」
「シサ ニ トンデマシタ」
「まどかがペーロン! って言い出すのを聴く1年以上前から、ペーロンのこときちんと書いてて、すごいぃぃぃっよね」
 感動にちりちりきらき輝いた眼で礼賛する円。
「ア! アブナイデス!!」
 そう叫ぶとI-836はぴょんと大きく脚を踏み込み、廊下の床を蹴り飛ばすと、ぐぉぉぉんと大きく軽やかにジャンプをして円の前にまわりこみ、行く手をさえぎる。
「わわわわっ、どうしたのぉっ!!?」
「ゼンポウ コノママ ノンキニ カケススムト ……オオキク キケンデス!!」
「ええっ?」
 前に立ちふさがったI-836の肩越しに顔をひょいと出して前方を確認してみると、ちょうど廊下と廊下の十文字の交差点を、ずっしり重そうなスチールボックスを何個も積んだ台車がガラガラガラと手前を横切って行った。
「カイヒ サレマシタ」
「わーぁ、あんなハードそうな物体にサイドから衝突されてたら、確実に保健室に搬送されて、ドクター高峰に魔術手術されてたねぇ……よくわかったね!! はっちゃん!!」
「シャリン ノ オト カラ ソクテイ シマシタ」
 円とI-836の前を通り過ぎて行った台車はそのまま荷物用のエレベーターがある方へ消え去って行った。
「輪入道な回避だねぇ!! じゃあ、はっちゃんの肩越しにフォーカスしないほうが良かったかもぉ、ははぁっ」
 円が笑いながらそう足を踏み出すと、廊下と廊下の十文字の交差点をさっきの台車と同じ方角から、同じスピードで人間がもうひとり走り抜けていく。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 ――もうちょっとで激突しそうになったりしたが、なんとか体をかわしてとどまる円。
「ウシロニ モウ ヒトリ イマシタカ」
「まったく、あぶないよねぇ、……あんなに激走したりしちゃあ」
「まどかちゃんもだいぶ爆走してたよ、輪入道なみに」
 不意の声に振り返ると、円の背後には直枝尋(なおえ ひろ)が立ってた。
「あっ、尋ちゃん……あっ、何もってるの、それ」
 尋は手に、文庫本ほり小さいくらいの大きさの玉手箱のようなかたちのうるし塗りの箱を持っていて、円の視線は既にそっちにそそがれてる。
「これ? さぁ、なんでしょーう」
「チイサイ スズリ デスカ?」
「ざんねん、書道道具は入ってません、ちょっと考えてもわからないかもね」
 そう言うと尋もおなじくカフェテラスに向かってると見えて円とI-836といっしょに歩き出す。
「えぇぇええ、むずかしいの? えっ、めったにランゲージには出来ないような変なしろものが入ってたりするの……っ!?」
 円のイマジネーションは野積みの古タイヤの山のようにどしどし燃え膨らみあがる。
「さすがに、法に触れるものは入ってないよ」
「……女子高生が一般所持できる範囲内かぁぁぁぁぁぁぁぁ、あっ、わかった!!」
「ナンダト オモイマスカ」
「あのねぇー……」

直枝尋

「まさか当てられるとは思わなかったなー、まどかちゃん、さすが季節のまつりに詳しいね」
「えへへぇ、鬼の骨でしょ、鬼の骨」
 6月のはじめに食べる氷餅の異名を回答し見事に正解した今野円さんです。
「じゃ、まどかちゃんたちにも、この氷餅おすそわけ」
 尋は、そう言ってさっきのプチ玉手箱なうるしの箱を差し出して、氷餅をいくつか勧める。
 悟徳学園のカフェテラスにはお茶も各種そろってるので、おのおの好きなお茶で、といいたいところだが、円の手許には、あの、あまりにも巷の人気が無くてほぼ販売機が稀薄となってる炭酸飲料「イモホリボン」(無果汁)の缶が置かれてる。
「たべたところで涼しくは、ならないけれど、おいしいねぇぇ、こおりもちぃ」
 氷餅を食べながら、イモホリボンの缶のふたをニコニコしてあける円。
「えっ、まどかちゃんそんなジュース好きだったの」
「うんうん、サイダーよりはこれだよぉ」
「よりによって、これ……?」
 じーっと、イモホリボンの缶を眺める尋。
 その視線からは、こいつを飲むのか!? しかもそんなに嬉々とした表情でこの香気を嚥下して胃の腑にとどけるのか?! という、巷の多数のハートが抱く念のちからがこもってる。
「あっ、そんなのひどいよぉ、このまえ尋ちゃんがおやすみのおみやげだよぉって言って持って来た、大陸のサイダー!! あれはひどかったよぉぉぉ」
「あれ漢方薬とかが相当混じってるやつだもの、もともとわかるじゃん、でもこれはねぇ……」
 イモホリボンの里芋キャラをじーっと眺める尋。
「それよりは正常だよぉぉぉぉ」
 尋のつけてるホヤのかたちの髪留めの飾りを凝視しつつ氷餅をこりこりかじる円。
「ええーっ、別にホヤ貝は変じゃないでしょ、おいしいしっ」
「あれはぁ、竜宮が開発した革命的新兵器でしょぉ、対人類用の」
「まどかちゃんひどいっ、こんど食べさせてあげるよぉっ」
 尋は笑いながら〔今野、ホヤべんとう〕と手のひらにボールペンでメモをした。



「さっきのはっちゃんの大地を蹴っ飛ばしてフワッといくジャンピング、すごぉかったねぇぇぇぇ、運動測定のときさぁ、あきちゃんが、ほら、あきちゃんがぁ、走り幅跳びのときにすごくかっこよく跳んでたヤツに、似てたよぉぉ、いいフォーム、いいフォームぅ!!」
 円はそう言いながらテーブルの上で指をつかってフォームの分解写真をこころみている。
「ねえまどかちゃん、ホヤの妖怪っていないの?」
「えっ、尋ちゃぁぁん、あれは竜宮がつくりだした潮水を乱射するテクニカルウェポンでしょぉ」
「まだそれ言ってるー、それは放置しといて」
「えぇ〜、各地の報告にはホヤが化けたとかいうのは無いかなぁ、オットー先輩とかに訊かないとわかんないけどぉ……、はっちゃん何か覚えてるぅ?」
「ケンキュウカイ デハ ゲンキュウ ナシ デスネ」
「柳田先輩とかは特に書いてなかったと思うよぉ、でもぉもしいたらぁ、海坊主みたいなメガサイズかもねぇ?」
「なんかツノだらけで、坊主というより、異国の鬼って感じだね」
 おもいおもいに想像をエルニーニョのように深ませながら、片やお茶、片やイモホリボン(無果汁)を飲んでると、ラジオにウィーンと小さく別の波長が入ってうっすら聞こえて来るように、どこからともなく知ってる声が耳に届いて来る。
「えっ? まどかちゃんなんか言った?」
 尋がじゃっかん眉をしかめつつ尋ねる。
「なにも言ってないよぉ」――といった顔をしながらイモホリボンを飲む円。
「………………ろいな」
「あれっ、じゃあ836ちゃん?」
「チガイマスヨ」
 I-836が首とアンテナを横に振ったのを見て、あたりをきょろきょろ尋が見渡してると、そのどこからともなく聞こえて来る声は、2人と1台が坐ってるカフェテラスのテーブルのひとつおいて隣の席あたりから聞こえて来ると知れた。
「さすが尋ちゃん、釣り好きだから、観察がするどい」
「あんまり関係ないよっ」
 ふたりがひょいっと背をのばして、ひとつおいて隣の席をのぞいてみると、折口忍(おりぐちしのぶ)が席の長イスに横に寝転んで何か言っていた。
「さがしだされたかあ……」
「わぁぁぁぁぁ、せんぱいっ何してるんですかぁぁぁぁぁぁっ、ついのぞきこんじゃいましたよぉぉぉ!!」
 円はすぐさま席を立って、忍が寝っ転がってる側に駈け寄る。

「……こんな時間っから……あいっからずへんてこりんな会話してるんだな」
「せんぱいもぉ、みょうちきりんな姿勢で感想を漏洩してましたよぉぉ」
 仰向けに寝っ転がったまま忍はボリューム低めの声でぼそぼそつぶやく。
「……きょうの暑さのあがり過ぎはだめだよ、やってられない。"すもっぐ" も出たし……。だから、体育の補講もここで横臥して無しにしてる」
 確かに、すこし前に「光化学スモッグ注意報」が発令された旨をしらせる市の放送の、エコーがかった声が響いてたような気もするが、廊下爆走中だったのでハッキリとは記憶に残ってなかった。
「スモッグで気分悪くなったわけじゃないんですね、びっくりしました」
 尋が安堵した表情で円のとなりから忍に声をかける。
「あ、竜宮兵器がほんとに頭脳から生えてる」
「飾り……です」
 忍は、へへっと口元をほころばせるとごろんと首を仰向けに戻す。
「せんぱいぃぃ、暑いんでしたらっ、これっ、飲んでくださいっ、はっちゃんがあと1本っストック缶を冷やしてますからぁぁぁぁっ!!」
「またその炭酸かっ!!!! 蹴っ飛ばすぞっ」
 忍のほっぺたにつけられたイモホリボンは高く宙に舞いあげられたが、I-836の手にキャッチされて、悟徳学園のカフェテラスは泡まみれ爽やか空間に変貌するのを回避したのだった。  



(2014.06.01 氷厘亭氷泉)