えんすけっ! 耳たぶカレーのまぼろし

桂和美


「……くぅ、どぅッ……くッ、あぁぁぁぁあぁぁぁああああぁ、やっかしいっ!!」
 桂和美(かつら かずみ)イライラの折れ線グラフがぐんぐんとプラスの方角に登って登ってゆく。
「……どんなのが入ってやがんだよ、ったく……」
 そう言いながら、和美は左耳からひとさしゆびをポツッと抜く。
 朝からウォーキングに出て2時間。それがひと段落ついて、河川敷の土手の上に坐ってからもうカレコレ25分くらい、耳の内部と格闘を繰り広げていたのだった。

「八十八夜シーズンな野鳥もそんなに飛んで来ないし……、もうとっとと帰るか……」
 和美がそうひとりつぶやいてガサッと土手の草ごしに立ち上がると、それとは別の音も鳴った。


 ぐぐぐぐーーーーーーーーーーーーーーっ


 いままで耳そうじ格闘のイライラに占拠されてた脳細胞が和美の体内の一等国だったが、この音と共に勢力地図がガラっと変わった。
「――困った空きっ腹だゼ」
「耳のせいで空腹なんですの?」
「わっーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
 ただでさえ耳そうじが不満足で感覚がたかまってる耳なのに、その耳もとで声がしたので和美は大声でびっくりする。
「ーーーーーっ!! ……また猿戸、おまえかよ、びびるゼ」
 土手の草むらで伸びの姿勢で立ち上がった和美のすぐ背後真横には猿戸兎汐(さるど としお)が立っていた。
「おまえ足音も何も立てずにまた現われやがって……、羽根かなんかでも生やかしてんじゃねぇのか?!」
「いえいえ」
 兎汐は特に表情も変えずに首を右ひだりに振る。
「あー、ビビったゼ……」
 そう言う和美のお腹からがまた少し小さく鳴る。
「良い事がありますですの」
 その音を聴きながら、兎汐はそう言った。



「おいっ、どこまで連行していく気なんだよッ!!」
 兎汐は和美の手をぐいぐい引いて進んでいく。
 腕力がものすごくて……、というわけでもないのだが、日ごろアウトドアな動きで鍛えてる和美が押しとどまろうとしても、まったく手ごたえが生じない。
 実にふしぎな引っぱられ加減のまま連れて行かれる和美。
「おぃっ猿戸、どーこーまでっ!!」
「周章不要ですの」
「なんだよっ、おいっ、おいっ」
 そのまま兎汐は塀と塀のあいだにある通れるのか通れないのかわからない、路地、というより、隙間に突入して行く。
「このまま直線ですの」
「なんだよっ、こんな自転車も通れねぇようなとこ――、いてっ」
 肩のあたりがこすれるくらい狭い。
「ここは少し横向きになって欲しいですの」
 隙間の途中に電信柱が立ってて、狭い隙間が更に急激にせま〜くなってる箇所に遭遇。
 兎汐は腹這うタランチュラのように塀におへそ側をつけて横歩きの姿勢になって、ピッと和美のほうをしばらく凝視すると、そのまま同じように手を引いたまま、横歩きで電信柱の先へと進んでゆく。
「こうですの」
「なにぃ……いててててててててててててっててっ!!」
 いくぶん、コンクリートの塀とおちかずきになり過ぎ気味に狭小地帯をすり抜ける和美。
 兎汐はかまわずスイスイと塀と塀の隙間の道を抜けて行く。


「さ、桂ちゃん、ここですの」
「げっ、なんだよここ……!」
 隙間通路を踏破した先には真っ黒い壁に、「田」の字型の緑色の窓枠がついた民家があった。
 門は鉄の飾りがついてて、どことなく落ち着いた感じのたたずまいだが、建物は少々いびつな立方体で、真っ黒い冷や奴にオクラが窓として横に貼りついてるみたいな見た目。
 道路から門までの距離が少し奥まってることも少し助長してるのか、なかなかのあやしさを醸し出していた。
「なにって、おいしいお店ですの」
 和美から腕を離して兎汐がその鉄の門扉に手をかける。
「おいしいって……微妙に変な想像になるゼ、猿戸ぉ……、この……かたち、それにどうみても一般住宅だろ、おいっ!!」
 門の中にす〜っと入って行く兎汐を急いで追う和美。停止させようとする気まんまんである。(日頃、今野円で馴れてる行動スイッチ)
「だいじょぶですの、ちゃんとしたお店ですッ」
 門の中に入り、真っ黒冷や奴な立方体の建物の間近に接近すると視界の中に「開店時間……定休日……」などと書かれた鉄のプレートが見えた。
「おぅっ?」
「おやすいですから、是非どうぞですの」
 キィッと正面の扉(漆黒)を押しあけると、兎汐は和美を中へと押し込んだ。
 これまたふしぎと、ふんわり。羽毛に追突されるようなチカラ加減だったが、和美は踏んばる隙も無いままだった。

 外見とはうらはらに、冷や奴みたいな建物内へ入ると、古〜い大衆食堂のような景観が広がってた。
 小さいテーブル、水滴の浮いてる水の入ったポット、瓶詰めジュースが1本だけある冷蔵ケース、わたぼこり。
 はっきりいって外観と内観の差がありすぎて、別の建物にワープしてしまったかのような錯覚に陥るほどだが、窓を見てみると確かに「田」の字型の緑色の窓枠で、さっきの建物だというとは確かと知れるのだった。
 イスはところどころ裂け目が出来てて、中に入ってる薄いスポンジやベニヤ板が見えてる。
 兎汐は、すすすとそこに腰かけると、
「どうぞ」
 と向かいのイスに和美に坐るようにうながす。中にはテーブルをあいだを挟んだ2人がけ席しかないので、無論そこ以外に腰かけるのは妙なのだが、大体こんなよくわかんない空間に何ひっぱり込まれてるんだろう、と考えると和美はだんだん不安になって来る。
「おい猿戸、次は山猫でも出て来るんじゃねぇだろうな」
「まさかぁですの」
「このイス……ちくちくしねぇだろうな……あぶねぇゼ」
 和美が背中を気にしてると、テーブルの上にいつの間にかあったメラミンで出来たまるいお盆の上に、兎汐がじゃらーんと100円玉と10円玉を何枚か置く。
「えっ、なんの儀式……ゼっ」
 結構響いた小銭の音に和美がびっくりしてると、店の奥からひとりの店員が出て来て無言のまま小銭の載ったお盆を持って、奥に入って行ってしまう。
「あぅ? おぃ、どういうことなんだゼっ?!」
「いいですの、お皿1枚の量が多いので山わけさんて食べるといいですの」
「何がでくるんだよっ!!? 小銭の置き方とかで暗号なのかっ?! んんっ!?」
「ここは曜日によってかわるだけで、出てくるメニューは1つきりですの」
「あいっかわらず、わかんねぇゼ……てめぇ」
 兎汐の手にはいつの間にかスプーンが2つ。また猿戸の魔術か手品か何かなのかと和美は眼を凝らしたが、スグ近くのカウンターにスプーン立てがあったので〔注意そらす技なのか……?〕と考えてみたりしたが、和美がスプーンに注目してるあいだに、さっきの店員が同じメラミンのまるいお盆に大きなお皿に盛られたカレーをいつのまにかテーブルの上に置いてたので、さらにどうも分からなくなった。
「おおっ?」
「いただきましょうですの」
 兎汐はスプーンを和美の前に出す。
 和美はスプーンを受け取りながら脳みその中を混乱させる。
 カレーのごはんは普通の白いごはんだったのだが、上にのってるカレーのルーは、どう見ても色を間違えたわらび餅かスライムのような感じでなんだかぷるぷるしてる。
「おいしいです」
 兎汐はひとすくい、その変なカレーをくちに運んでる。
「……レトルトのやつあっためないで出すと、これの出来そこないみたいに固まってるときあっけど……、これ、まじめにこういうカレーなのか? おい」
「そうですの。おいしいです、おいしいです」
 ふたすくいめを兎汐はくちに運んで行く。
「……」
 スプーンでつん。と触ってみると、思ったよりもまたずいぶんとぷりぷりてる。
「……」
 とりあえずごはんだけをひと匙、くちに持って行ってごまかす和美だったが、腹の虫は炭水化物以外のものを求めだしていた。
 心の中で〔仕方ねぇ、クソマズかったら惜しいけど500円玉ぁ猿戸に投げつけてとっととおさらばするゼ〕――と考えながら口に運んでみると、感触が変なものの旨味のあるいい味なのだった。
「……!!」
「おいしいです、おいしいです」
 兎汐は、和美の顔色を特にみることもなく、スプーンを進めている。
「意外だったゼ……、なんでこんなふにょんふにょんなのかわかんねぇけ……ど……おぉぉッ?!」
 和美が味の感想を言おうとしてると、目の前の皿の上に異景が顔をひょっこりさせていた。
「なんで白玉団子が白めしの下から出てんだよっ!!?」
「ここから下はお団子世界ですの」
「わけわかんねぇゼっ!! なんだよ世界って!!」
 ごはんの下には白玉団子が何個かまとまって埋められていた。
「何個入ってるかで運勢うらないが出来るんですの」
「わぁぁぁぁっ、やめろぉぉぉぉぉっ、まぜるな、白玉団子どんどん掘り出してルーにまぜるなぁぁぁっ!!!!」




 桂和美はこの謎のカレーの出た食堂の場所をはっきり憶えていない。
 あの電信柱の立ってる塀と塀の間の狭い道は、それからしばらくしても見つからなかった。
 もちもちしたこの謎のカレーのはなしを和美がたまたま話して、今野円から「耳たぶカレー」と名づけられるのは休みが明けて次の週、しばらくしてからのことだった。



(2014.05.04 氷厘亭氷泉)