「あきちゃん、それってなぁにぃ?」
「見せないッ」
口井章(くちい あき)は今野円(こんの まどか)にそう言い捨てると悟徳学園の中央階段をあがって行く。
「えぇぇぇぇっ、ひどぉいっ、いいじゃん、いいじゃん〜っ」
円もあとを追おうとするが、上履きがかぽかぽいってる。
「い・や・だっ!!」
「あっ、もうっ、待ってってばぁぁぁぁぁ」
脱げそうな上履きのまま、円も勢いよく階段を駈けあがる。
「ねっ、あきちゃぁぁぁん、いいじゃんっ」
「あーー……みっともないから、まず履きなよ、まどか」
「うん」
あきれ顔をして振り返った章に見られながら、上履きをキュッと履き直す円。
何人か別の生徒たちが二人を横目に見ながら階段を上がって行く。独特の恥ずかしさムードにつつみこまれる章ちゃん。
「ねぇ〜、教えてよぉ」
階段の手すりに片手をかけて、履けたほうの足をトントンやりながら円は章の顔を見るが、章は無言のまま、また背中を向けて階段をあがって行く。
「あっ、待ってってばぁぁぁぁぁ、いいじゃんー」
円も一生懸命追って行くが、また上履きがぽかぽかいい出して来て、スピードがガクンと落ち、段の差がひろがる。
「アブナイデス!!」
後ろからゆっくりあがってきたI-836がそう言ったのと同時か、あるいはそれより遅く、円はガクッと横に揺れ、階段から足を踏み外しそうになった。
I-836は、シュっと近づいて円が体勢を整えるのを手助けする。
「アト 4センチ ジュウシンガ ズレテタラ キケンデシタ」
「うぅぅぇぇ、はっちゃん、ありがと……。あっ!!」
「イタカッタデスカ」
円の足を見るI-836。
「マダ ハエテマスネ」
「そりゃそうだよぉ!! そんなに弱い接着だったら、ニンゲンお湯に入るたんびにぽろぽろ外れちゃってバラバラ事件だよぉっ!!」
そんなことを言いながら、また駈け出す円。
「ソウイウモンデスカネ」
円とI-836がそんなことを言ってる間に、章はもう教室についていた。
「……まったく、まどかってば何が〔新しい上履きだから爽やかさが10ポイントアップしたよぉ〕よ、明らかにスペックダウン……ん?」
ふと机の上に目をやるとなんだかよくわからないものが落ちてる。
ひとさし指と親指をつなげてつくった丸くらいの大きさで、見た目はなんだかグチャっとしてそうで、変な感じの物体である。
「なんだ……?」
「ねっ、あきちゃぁぁぁん、いいじゃんっーーー!!」
章がその謎の物体をじっと見てると、円とI-836が教室になだれ込んで来た。
「おい、まどか」
「えっ、あっ、はいっ!! やっと見せてくれる? さっきの変な色のタイトルの雑誌」
「変な色ってなんだよ」
「いや……、とっさに表現するには難しい……腐った甘くないバナナみたいな……」
「それは却下、そんなことより、これ何だかわかる?」
そういうと章は、机の上に落ちてる謎の物体を、なるべく距離をとってゆびさした。
なんだかわからないので、とりあえず触るのはイヤらしい。
「えっ、あきちゃん、どれ?」
「……これ」
結局、章のゆびの高度は謎の物体の近くにまで降下する。
「ああぁぁぁぁぁ!?」
円はすぐに笑いながらその謎の物体を手にとると、サッと手でつかむ。
「オットー先輩ここに落としてたんだぁ!! よかったぁ、あきちゃんの机で!!」
「なんだ……、それブニュっとしてるわけじゃないのか……」
どことなくホッとしてる章。
「あれっ、でもなんでうちのクラスにオットー先輩がぁ……?」
「キノウ スガリン ヲ ヨビニイキマシタ」
「あ、そうかぁ、まどかが部活どこでやるのか訊きに行った後かぁ!」
うんうんうん、と首を縦に振って納得顔になる円。
「それこそ、その……腐乱しきった後に野良犬に踏まれたキウイみたいな物体……、一体なんなの」
「――あ、これはねぇ、妖怪研究会のオットー先輩がね」
円が説明をしようとしてると、そこへ丁度、牧田スガ(まきた すが)が入って来る。
「あっ、スガリン」
「あきちゃんおはよー、あっ!!」
スガはすぐに、円の持ってる例の謎の物体に気がつく。
「それーーー!! やっぱり教室に落ちてたんだ!! まどかちゃん、どこにあった?」
「あきちゃんの机の上ぇ」
「なぁんだー、よかったー」
「よかったよねぇ、他の子のだったらどうなってた事だか、わからないもんねぇ」
「だよね」
「おいおいおーい」
スガと円の会話に割って入るあきちゃん。
「あきちゃんの机で良かった――って、どういうこと? ねぇ」
「あ……いや、ほら、別に大した意味はないよぉぉぉぉ」
「発見時にいっしょに居れて良かったってことでしょ」
「そう!!」
スガのナイスパスにうまく乗っかって首をこくこくさせる円。
「ふーん……」
とりあえずそういことにしておいてやる、といった顔をしながら、章は再び例の謎の物体をゆびさす。
「――で? これ、何なの? とりあえず生ゴミじゃないってのは知れたけど」
休み時間、スガはオットー先輩こと鎌倉音東(かまくら おとひ)の教室の戸を叩いた。
「すいませんー、鎌倉先輩……」
声をかけるとほかの生徒たちの間からオットー先輩が、いつもの笑顔で出て来た。
「あれ、スガさんどうしたの?」
「先輩、友達の机の上に――これ、落ちてたんで持って来ました」
スガが例の物体を手渡す。
「あっ……ぜんぜん気づいてなかった。わぁ有難う」
「これはっ!! と、すぐにわかったんで良かったです」
「うふふっ、なんだか……恥ずかしいけどね。でもほんとに有難う」
オットー先輩はそういって頭を下げて礼をする。
「わわわ、いいんですって、私はただ届けに来ただけですしっ。――でも先輩、いつの間にあんな場所に落としてたんですか」
「目薬……出したとき?」
「あ、ポケットから出しましたもんね……そぉかぁ……。先輩、つぎからは突然「ごめん、目薬さすの、やって」とか頼まないでくださいね、どっきりしますから」
「ごめんね、花粉の時季はときどきすっごく痛くって……。だってほら、スガさん以外だと部活で目薬さすの手伝ってだなんてコッソリ頼めそうなひと、あんまり居ないでしょ……?」
「あぁ……確かに、柳田先輩なんかにはゼッタイ言えませんね」
「おそれおおすぎるでしょう?」
「でも、オットー先輩が目薬ひとりで出来ないってひみつがあるだなんて、昨日はびっくりしましたよ」
そーっと小声でスガが言う。
「あっ、ないしょにしといてよ。ほんとにひみつ、ひみつ、ひみつ」
口元をてのひらでパタパタと払うジェスチャーをしながら、オットー先輩は教室に入っていった。
「オットー先輩は、いちいちカワイイなぁ」
「ふふっ……で? あれ……ふふふぷっ……スイーツデコだった……ふふふふふっ……わけ?」
「あきちゃぁぁぁん、もう笑うのやめなよぉ」
「だって……ふふふふふふふふ、あれ、どう見ても……くるしぃ」
章は机につっぷしながら肩を揺らして笑ってる。
「だぁかぁらぁ〜、食品サンプルの体験が出来るお店で、オットー先輩が柳田先輩と一緒につくったらぁ、いつの間にかあんなのになっちゃったんだってっ!!」
「だって、おかしいでしょ、あんな腐乱したみたいなたたずまい、クリームの色じゃな……い、ふふふふふふふっ」
「本当に、ある一瞬まではパリーのお店に並んでるみたいなお菓子そのものだったんだよ!!」
「うそぉ、あ、れ、が」
「……って、オットー先輩は言ってたよぉ。おそろしいよ、言うならばフェアリーが人間の子供をさらって取替えっ子しちゃったぐらいのおそろしさだよぉぉ」
「それって……完全に……くくっ、ふふふふっ」
「もぅ……、はっちゃん、あきちゃんのこのエンドレス笑いとめてよぉぉ」
「ワカリマシタ」
I-836は、スッと立つと章の鞄をサッと触る。
「サッキノ ザッシ ミセテ」
「見せないッ、それと上履きは買い直せっ」
(2014.04.06 氷厘亭氷泉)