「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、待ってるねぇぇぇぇ」
ものすごい風にあおられて、するどい角度で雨の線が走りまくる。
春の低気圧の風速は、かまいたちも寄せつけないほどのスピードで街の中を駈け抜けた。
「はっちゃんだいじょぶかなぁぁ……」
今野円(こんの まどか)はトートバッグについた雨の水滴を手で払いながらそうつぶやくと、雨の吹き降る景色を眺める。
風の勢いはほんとうに強くて、なかなか歩けるような状態ではなかった。
「ダイジョブだよ、この前だって耐え切れてたじゃん」
円のとなりで体育ずわりしながら牧田スガ(まきた すが)が言う。
ふたりはたまたまこの場で同時にあまやどりをすることになって、いま一緒に居る。はじめのうちは「とおりあめ」程度に思ってたが、風速も雨の量もどんどん増えてる。
「えぇぇっ、スガリン、この前ってぇ……なに?」
「あれ、居合わせてなかったっけ? ほら、このまえさぁ、ふふふっ、……あはははっ」
スガの思い出し笑いスイッチが動き始めてしまった。
「あ、それって、もしかして折口先輩とかがこのまえ言ってたやつ……?」
「そうっ……そう、ふふふふふっ、あ、やっぱりまどかちゃんはその時いなかったか!!」
「だってぇ、柳田先輩に呼ばれていっしょにいたもん」
「ごめんごめん、そっちは先輩と何してたの?」
「えっ、ずるいよぉ、スガリン!! こっちが先に訊いたんだよぉ、しっかり答弁してくださいぃ」
円はスガの肩をぽこぽこたたく。
「そうだね、あのね、はっちゃんと折口先輩と一緒にね、行ったのよ。南方先輩から……なんだったかな、ブラウニ……」
「ずるいよぉぉぉぉ、スガリンたちまた先輩とおかし食べたのぉぉぉぉぉ、先々週もあれでしょぉぉぉぉ、折口先輩のつくったケーキ食べたんでしょぉぉぉ、いいなぁぁ」
円はさらにスガの肩をぽこぽこぽこぽこ。
「えぅッ、違うよ……ブラウニーじゃなくて……なんだっけなぁ、南方先輩がぁ、ときどき言ってる、あの外国のひとの本」
スガの頭の中はもう茶色いカカオの香りで満ち溢れている。
誰もそのかぐわしい香りの波をさえぎることは出来ない。
なぜならば、まどかの口の中にはチョコの小さいお菓子がころころ転がってて、さっきからカカオの香りがこのあまやどり空間に満ちているからである。
「外国のぉ?」(カカオ)
「なんだかいろいろと俗信というか……ブラウニー……」
「まどかも先輩から聴いたことあるぅ?」(カカオ)
「ある、あるよあるよ……ブラウニー……」
「ブラウンぅ……?」(カカオ)
「あっ!! そのブラウニー!! ちがう、ブラウン!!」
トーマス・ブラウンに到達するまでの間も、まだまだ雨脚は激しくなり、風も強くなっていた。
「でね、そのブラウニーの『プセウドドキシア・エピデミカ』をね、南方先輩にね」
円にわけてもらったチョコ菓子を食べながらしゃべるスガは、カカオの魅惑によって人類とお菓子をまた間違ってることに気づかぬまま、はなしつづけてる。
「いいなぁ、まどかもトーマスの本、借りてよんでみたいなぁ」
「柳田先輩とは、そのとき何よんで来たの?」
「石の本」
円は笑顔で答える。
「石……、ふふふふっ。でね、南方先輩に借りにいったらね、部室の水道が3つもぶち壊れててね、はっちゃんが高圧でふっとびでてくる水道水を、水道料金で換算したらすごいことになる勢い水をだよ、びっしゃびっしゃになって止めてくれたわけ、だからさ、このすごい雨の中でもダイジョブ、ダイジョブ」
「……それって、なんでそのとき3つも蛇口がデストロイしてたの」
「わかんない」
スガは、ふと冷静な眼つきになって「ソウイエバナゼダロウ? ナンデダロカ?」と当時の科学部の様子を思い起こしてみたが、ぐうぐう眠ってる南方先輩以外そもそも室内にいなかったので回想は全然無意味に終わったのだった。
「でも、この雨すごいよぉ、はっちゃんのICとかに水はいっちゃったりしないかなぁ……心配だよぉ」
「ダイジョブ、ダイジョブ、すぐに傘もって来てくれるってば、ねッ」(カカオ)
チョコをごきゅんとのみこんで、スガの空腹メーターは10さがった。
「でもスゴイね、休みの日にまどかちゃんわざわざ調べ物しに行くなんて」
風の音ですこし声が聴きづらい中、スガがまた体育ずわりになりながら言う。
きょう、円とI-836は図書館に向かうつもりで家を出発したのだが、しばらく歩いた直後にこの予想外の大風雨がやって来て立ち往生してしまったのだった。
「そうかなぁ、どんどん面白い本あるんだぁ、ってわかっていくとおもしろいよぉ、パンパを切り拓いていくフロンティア感覚だよぉ」
「なんで開拓候補地、ジャングルじゃないの」
「え〜、スガリン、パンパって響きがかわいいじゃん〜、パンパっ!!」
肩へロックオンするのは飽きが来たらしく、円はスガの体育ずわりのヒザをぽこぽこ叩く。
「でも、家でるときにこんなに途中で降りだすとは思わなかったでしょ」
「湿潤性パンパでも、こんなにびゅーびゅー風は来ないよねぇ」
「だよねぇ、――うわぁっ!!」
しつじゅんせいパンパ の部分は、ほぼ掻き消されるぐらいの勢いで吹き込んでくる強風に、スガと円の髪の毛もばさばさっと乱れ舞いまくる。
スガリンはどこ行く途中だったの?」
「きょうは服買いに行く途中だったの」
「あ、あそこでしょ、TENKOROの中にあるお店!! 知ってる、知ってる、聴いたことある、あきちゃんに!!」
スガのほうにパッと顔を向けたが、数秒ことばが途切れる円。
「あぁ……餓鬼、ガキガツクだっけ?」
「チャブクロ」
「ごめんごめん、飲むほうね! そうだったねぇ、そうだったねぇ!!」
「ぶっ、まどかちゃん、間違え方おかしいよ、それになんだか茶葉そのまま飲み込むみたいなジェスチャーしてるしっ、違うよっ」
「やっぱり茶葉はお腹痛くなるからだめですかぁ……、てことはスガリンの今日のそのおめしコーデもチャブクロなのぉ?」
「うん、上は……あ、上は違うお店のだけど、下と靴下はチャブクロのだよ」
「やっぱりみんなが〔スガリンのチャブクロ〕って呼ぶんじゃうだけあって、着こなしてるねぇ」
「まどかちゃん……下って、そこじゃないよ、違うよ」
顔をのりだして眼をほそめてる円に向かってスガリンは爆笑しながら言った。
家に傘を取りに発進したI-836が戻って来るのを待つスガと円のあまやどりはまだつづいてる。
「パンパよりもねぇ、最近は気に入ってる響きの言葉あるんだよ」
「さっきの湿潤性パンパよりも?」
風がじゃっかん勢いを弱めて来たかな、と思いきや、雨のはまだ強く降り続いてる。
「あのね、病気にかかったことをね、スガリンは何と呼びますか?」
「んー……そうねぇ。――おなかいたくなっちゃった」
「むぅ、それもいいねぇ、かわいい。さすが、アイドルスガリンめ」
あごに手をあてて感心ポーズにふけり込みだす円。
「あれっ、首位奪っちゃったよ、あれっ、なんだったの? まどかちゃん、ねぇ、ねぇ、病気って何がどうなってんのかわかんないよっ!!」
今度はスガが、正座してる円のヒザのうえをぺちぺち叩く。
「あのねっ、リカンって言葉の響きが気に入ってたんだよぉ、リカン、リカン」
「罹患……」
「リカンって響きがねぇ、ミカンみたいで、なんか病気らしからぬかわいさがあるでしょ、でしょ、でしょ」
「まどかちゃん……、その思想は確実に何かに罹患してるわ、異常」
「えっ、なにそれひどいっ!! スガリンめ、スガリンめぇ〜っ!!」
円はそう言いながら、あと何粒か残ってたさっきのチョコをぜんぶ自分の口の中に放り込んだ。(カカオ)
I-836はその中を傘を3本もって(スガリンの分をプラスした)ハイスピードでダッシュしていた。
スガと円があまやどりをしてる横倒しにされた巨大なドカンの上に降りそそぐ雨と風はまだまだ強かった。
(2014.03.30 氷厘亭氷泉)