「じャあ、サヨナラ」
葱耜月世(ねぶすき つきよ)は、そうお辞儀をして職員室から出て来ると、そのまま廊下を猛スピードで駈け出した。
金をこまかに糸にしたかのごとき髪をなびかせて、ロシア美少女はずんずんと進む。
「あぁアぁァぁ、はや、はや、ハヤきこト、かぜェェぇぇ!!」
月世は解人高校の正門を出ると、そわそわと左右を見回す。
「おい、ネブ、何よびだされてたんだよっ!!」
正門のすぐ前に植えられてる大きいツバキの木の下から声がした。
声のしたほうを見てみると、同学年の赤柴水矢(あかしば みずや)と牛島績美(うしじま うみ)が待っていた。
「ぜぇぜぇ、すみマせん、余のたメに待たセちゃっテ」
「あーあー、ネブってば走ってきたの?」
績美は月世の背中をやさしくさすってあげる。
「牛ちゃんに、さスられるト、いイ気分にナりまスね」
「おい、牛ちゃん、なでるのやめろよ。ネブのやつ思考配線が猥褻だぞ」
水矢はそう言うと、さっさと歩みを進める。
「で、ネブは今回、どういう国禁をおかしたかどで職員室に召喚されてたんだ」
赤とねずみ色のレンガが敷石になってる道を歩きながら、水矢が再び追求をはじめた。
「あーーーー、デすねーーーーー」
「やっぱり、スパイ容疑だな、あれだろ、日本国の地図を国外に持ち出そうとして」
「みずっち、またそういうこと言うー、アハハ」
績美は、にこにこと笑顔で大笑いする。
「ちがいマすよーーーー!! ヤポンスキーの地図とカなに言ってんデすか!! もっ!!」
折口忍によってつけられた葱耜月世はロシアのスパイ、というニックネーム由来の設定はもう完全にひとり歩きしすぎている。
「アハハハハ、私なんとなく呼び出し理由わかるよ」
「なんだ、牛ちゃん、きょうのスパイの行動をさらにスパイしてたわけ?」
「あのね……、ネブはね、たぶんね……(ゴソゴソゴソ)」
績美が水矢に耳うちする。
「(ふむふむふむ)……なんだそれっ!!」
「あっ、悪イですヨ、ふたりキリで内緒の内緒!!」
「じゃあ、とっとと白状しろよっ!!」
ふたりの間に、むにゅうとほっぺたを割り込ませて入って来た月世に向かって、水矢が怒る。
「ネブ、授業中に何か食べてておこられたんでしょ」
「わァ、牛ちゃんにチクりと言わレると恥ずカしサ、グレード高いですネ!! ビクびクしちゃイますっ!!」
「ネブ……、中学男子みたいな行動やめれよ……」
水矢は、両方の手をつかってお箸でごはんをかきこむようなジェスチャーをつくり、月世の顔を呆れの視線でにらみつける。
「ちがうんデすよ、お弁当とかソうイウんではないんデすよ」
水矢のそのジェスチャーに対して、てのひらをぶんぶん振って否定をする月世。
「飴?」
つづく績美の声に、月世は今度は首をふりふり。
「ボルシチか」
「あれはウクライナでスっ!!」
水矢の声に、長い髪もあわせてふりふり。
「じゃあ、なんだよ」
「しオこんブ。ポロっと落とシて、教師さんに見とがめラれました」
「――似合わなすぎる、せめて塩シラカバにしろ」
「みずっち、それはクソまずそうだよ……」
『抑留の達人』が動いてるゲームセンターのまえをとおり過ぎ、駅にのぼってゆく階段の近くに3人がさしかかると、績美が階段を下りて来る一団を無言でゆびさしながら、月世と水矢の顔を見る。
「ナんですかァ」
「しっ、ほら、かわいい〜」
階段から降りてきたのは全然別の学校の女の子たちの一団で、みんな鞄の他に何やら荷物をさげていた。
「牛ちゃんの、こまかくて一切他人に伝わらない、きゅん死にがはじまったな」
「伝わらなくないでしょ、ほら、みんなかわいい〜」
績美が小声でにこにこしているうちに、一団は通り過ぎていってしまった。
「わてには何もわからないですよ、いつも」
水矢は真顔で返答する。
「ダメだよ、みずっちは名前とは比較できないほど、感性がみずみずしくないよっ、む〜、……ネブはわかるよねっ、さっきのコたちのかわいいポイント」
「わカりまシた」
「ねっ、わかるよねっ!! ……ほら〜、みずっち、ネブはわかってるよ!!」
「ネブは別格、だってこの前、道端にかざってある辻斬りのヘビの目ん玉のこと、とんでもなくカワイイとか言ってたようなイタい美少女だぞ」
「かわイイじゃなかったですカ!! あのへびチんの目!!」
「だって、紙をぐじゃってまるめたのに黒目をざっくりぬってあるだけだぞ、あれ……」
「もっ、かわイイじゃなかったですカ!! ねっ、牛ちゃん!!」
月世がテンションマックスで水矢に言い放ち、績美のほうを振り返ると、績美はそっぽを向いてたので、ずっこける。
「ほら、ネブのみずみずしい感性は別格だろ、牛ちゃん」
「そんなコトありマせんえん〜、わかりマしたヨー、牛ちゃんはあのムスメたチの持ちもノに、ときめキしたのでス」
「あっ、ネブ当たってるよ!!」
「なんだと……」
績美の反応に、とまどう水矢。
しかし、まだわからんぜ、といった表情で言葉を継ぎ足してゆく。
「にっ、荷物と言ってもいささか広い、ネブと牛ちゃんが同じものをみたかどうか確かめ……」
績美と月世はほぼ同じジェスチャーをして水矢をじっと見ていた。
右手と左手の差異はあるものの、ふたりとも、何かを手に提げて持ってるようなしぐさをしている。
「……なにっ……一致してる!!」
さすがの水矢もこの展開には威圧を受けて5センチ、あとずさった。
「やったぁぁ、ネブもわかってたんだねぇ、かわいかったよねぇぇ、みんなビオラのケース提げて持ってあるいてる姿っ!!」
「ビオラっ!?」
オクターブの上がった声で、キュっと月世が返事をした。
「まんナかに居タ、チェロじゃナかったです?」
「やっぱり来たな、裏切らないネブは格別だな」
「えー、ネブぅ、チェロケースじゃないよ、ビオラ! ビオラ! いっぱい居たじゃん」
「どちらにせよ、牛ちゃんのきゅん死のツボは、またしてもわてらには伝わってなかったな」
「……いいよ、もぅ、かわいいことはかわいいのっ!! みずっちにはわからないよっ!!」
ぷいっと横っつらを向ける績美。
「ネブのチェロに着目しまくったのも意味不明だしな」
「アの大きサですよ!! あれナら、あレですよ!! 海上にデるあのデモンも圧縮して入れラれますヨ!!」
「何いれるんだよ、海坊主? でかい蟹?」
「コルシカですヨ!!」
「あやかし、って言いたいんでしょ、ネブ」
績美が、スッと言葉をさしはさむ。月世は「それそれそれ」といった感じで首をこくこく振る。
「……なにっ……100意味で理解してる!!」
水矢はふたたび5センチ、あとずさる。
「わてには今の飛躍は完全に理解できないぞっ!! あやかしとコルシカのどこが関連性あるんだっ!! しかもコルシカってただのナポレオンの故郷(くに)じゃんかっ!!」
「し……と、か……」
「オおおォ、そうかモそうカも!!」
「――とてもよろこばしいお知らせです。牛ちゃんも、格別組に飛び級が可能です」
「なにそれぇぇ、みずっちやめてよぉぉぉぉぉ」
(2014.03.09 氷厘亭氷泉)