「――ケイソク シマス」
I-836の眼がデジタルな感じに揺れ、ピカリとひかる。
「わっ、なんだこのどぎついミドリ色っ、きもい!!」
「ししとうがらしカラーのチェックレーザーだよぉ」
今野円(こんの まどか)がそう言うと、I-836の眼からぴぴぴひっぴぴぴひっと発せられてる光は、口井章(くちい あき)の膝から下を瞬時に照射してサッと消えた。
「なんでししとうなんだよ」
「えぇっ……あのぅ、なんとなく。特に意味はないょ」
「だろうと思った」
章が右眉をぴくつかせてると、I-836の眼には「5」という数字がデジタルなフォントにひかって出現した。
「デタ ケイソクスウチ ハ イツツ デス」
「あっ、計測結果が出たよぉっ、あきちゃぁぁぁん」
「だいたい、なんでそんな計測機能があるだなんて見つけたんだよ」
「昨日、たまたまねぇ、まどかのタンスの中から、開けたら
っ開けたらっ!! 突然っ、バッと出て来たんだよぉ」
「みこしにゅうどうでも出たの」
「もぉっっ、あきちゃん違うよぉぉぉぉ、それじゃあ、くつしたきりすずめだよぉ」
「ごめんごめ……くつしたぁ?」
「くつしたが出て来たんだよぉ、バッ!! と」
「は?」
こいつは何を言っちょるんじゃ、という顔で円の顔を見る章。
「あのね……一度もだよぉ、一度も履いたことのない、見たおぼえもほとんどないよぉな完全未開封なくつしたが、タンスを開けた途端にぃ、突然バッと!!」
円のジェスチャーを見てみると、どうやら、タンスを開けた時、中でひっかかったりしていたのか、ドサッとタンスから転がり出した、といったような感じだったらしい。これだけの情報量が、言語の上では「バッ」に集約されてる。
「それって、タンスにしまいこみ過ぎてたってだけなんじゃな……」
「かも知れないねぇ」
瞑目し、こくこくと深くうなずく円。
「いや、まどか、ぜったいそうだろ」
「でねぇでねぇ、わっ! わっ! こんなくつした、いつ買ったんだろぉ、わからないねぇ、うわぁ――って、はっちゃんに言ったの、そしたらぴぴぴって計測してくれたんだよぉ」
「へぇ」
「つまり、口井章さんのいま履いてるその漆黒のくつしたは、あと5週間のイノチという計測結果です」
円がアナウンサーのような口調で語りだす。
「えんぎの悪い言い方だな……。まどかはどうなんだよ」
「マイナス」
「は?」
「その出て来たくつした、昨日はっちゃんが計ってくれた数値15だったんだけどぉ、朝いそいで履いた時に勢いつきすぎて、……小指に穴がぁ」
「は?」
次の日、口井章は駅からおりる階段とエスカレーターを降りていた。
「あー……」
目元は学校に行ってるときのものより少しショボショボしてる。
「朝、テキトーにテーブルの上のもので済ませんじゃなかった……」
章は、だいたい休日の朝食はそこへんにあったお菓子だけですませてしまう時がある。きょうはたまたま置いてあったクッキーみたいなお菓子の残りと、冷蔵庫にあった炭酸水(無味)だけだった。
しばらくのあいだはエナジーが足りてたが、さすがに数十分電車に揺られて移動をしてるうちにゆっくりゆっくり減少していってるのがなんとなく自分で感じられた。
「まぁ、アレを済ませてから何とかするか」
章はエスカレーターを降りきると、いつもどんな客層が入ってるのかよくわからないナゾの定食屋、パチンコ屋、ガラス戸に貼ってある手書きのメニュー価格がぜんぶ異常に安すぎるラーメン屋、床屋さんの前をとおりすぎ、おおきな歩道橋を渡ってTENKOROと大きな看板のついた大きな建物の中に入っていった。
TENKOROは大きな商業施設で、中にはたくさんのファッション系のテナントが櫛比してる。階の上のほうには書店や雑貨店なども入ってるが、マンガや雑誌や参考書が主なラインナップなので、あまり章にはキョーミが無い。
「こういうところのたべもの屋ってのもな……」
ちょっとシャレものなトーストやらパスタだやらを出す店や、プリンだのヨーグルトだのを提供する店があったのをおぼろげな記憶をたよりに思い出し「同じクラスの牧田スガだったら確実に制覇してるだろうな」と考えながら、章はずんずん目的のお店めざして歩調を速めた。
章のねらいのエモノは、別にキラッとした金文字ブランド名の入った洋服でもジーンズでもない。
ねらいのエモノの売ってる店へたどり着く途中に並べてある流行りの生写真でもアルバムでもない。
いつも頭の右脇につけてるガイコツの飾りのついたヘアピンである。
円いわく――「ぜんぶ同じ人間のホネちゃん」――に見えているガイコツだが、ヒビの入り具合や口(歯牙?)のデザインなど、こまかく違うデザインがあって、数ヶ月おきに全然ちがうデザインのものが地味に増えていたりもするのだった。
章がいちばん気に入ってるのは頭頂部から2本、Vの字っポク、ななめに直線のヒビがデザインされてるもので、かなりの高頻度で装着してる。
今日つけているガイコツも、もちろんそのガイコツ。
と、いいたいところだが、朝いそぎ過ぎて洗面所に置き忘れて出て来てしまった。
「……きのう、まどかの靴下の穴を笑った応報か」
電車の中でようやく気がついた瞬間には、章はそんなことを妄想して笑ってみたりしたが、無意識にいつも身に着けてるものだったので、ちょっと気になるとナンダカ心が落ち着かない。
そんなことから、章の歩調もアレグロな感じに速まってたのだった。
TENKOROの中には、牧田スガが 〔よく行ってる〕 というより 〔どっかの雑誌でその店の読者モデルに選抜されてるんじゃないか〕 と言われるくらいに行ってる「チャブクロ」というショップもある。
全体的に、お茶問屋な感じの色づかい――白木っぽい色、緑色、抹茶色、ひすい色、そして番茶なアースカラーで統一されてるのが「チャブクロ」で、女子高生や中学生も出入りが激しい。
「右を向いても左を見てもみんなスガリンの狂信者」
と、クラスの "誰か" が評したというが、あきらかに "都々逸リズム" なので、藤澤か町田のしわざだろう、と章は感じてる。
章がアレグロなスピードで突入したガイコツの売ってるお店は、その「チャブクロ」のすぐ近くにあるが、お客の出入りは明らかに少ない。クロウト筋な感じ、といったところ。
「……このガイコツの店に入ってる客も、あの駅前のナゾの定食屋にいつも入ってる客と実はおんなじなのかも知れんな」
章は新作のガイコツのヘアピンの入った小さい紙袋を持って、TENKOROの中のエスカレーターを降りながらそんなことを考えてた。
歩道橋を渡って、ナゾの定食屋の前をとおり、電車にとび乗った。
「あぁ……牧田のクラスの、口井さん、おでかけ?」
章が電車の中で坐っていると、不意に隣から流れるように凛とした声が飛んで来た。
「えっ、あ……、先輩こんにちは」
声の方を見ると柳田先輩が腰掛けて文庫本を読んでた。
「先輩も、おでかけだったんですか?」
「インクを買いにね」
「へぇ、どんな色を」
章は一瞬「プリンターの備品とか、わざわざこの人も買いに行ったりするのか、なんか特色とかあるのか」と思って質問したが、「あぁ万年筆か何かのか」と気づいた。
「いい群青のが、ね」
柳田先輩は軽く受け答えながら、すいすいとページを進めている。
「先輩、いつも通学するときクルマに送られてますけど、電車も乗るんですね」
「ふふふ、悟徳学園の門まで線路が通ってるものだったら、乗っちゃうかも知れませんわね」
「授業中、踏み切りがうるさそうですけどね」
章はそうしゃべりながら柳田先輩から見えないほうの手で、ガイコツのヘアピンの入ってる小さい紙袋を自分のコートのポケットの中にねじこもうとした。
「口井さんは、あれでしょ、先月グラウンドでやってた体操の選抜会で鉄棒でまわってたでしょう?」
「見てたんですか」
「たまたまね、でも、あんまり駈けまわり過ぎにも気をつけないといけませんわよ」
柳田先輩はパタンと文庫本をとじて、ちりめんの風呂敷に取っ手をまわして作ってあるバッグにそれを入れると、左の手で章の横っ腹のあたりを指さした。
「えっ」
「そこはいま、ポケットじゃありません」
柳田先輩の指の先を見てみると、コートのポケットの下がほつれてて、ねじこんだ紙袋の先がキバみたいに飛び出していた。
「うわっ、えっ、……えっ」
章は顔を困らせて、そのまま逆のポケットにガイコツの入った紙袋を入れかえた。
すると、柳田先輩はそちらのポケットを、その左手でポンと軽く叩いた。
「こっちはキバ生えませんわねっ、ふふっ」
「あきちゃぁぁぁん、いつも頭のホネ、きまってるねぇ!! 今朝もいいところに生えてるよっ!!」
「だまれ、まどか」
週が明けた日の朝の通学路の、章が円に向かって放った第一声はこれだった。
(2014.03.02 氷厘亭氷泉)