えんすけっ! 先輩は味の裁判官

「フーコー」
「えっ?」
「フーーーコーーー」
「ちっがうよ、まどかちゃん、それじゃ渦電流だよ、ハハハ、フーコー電流」
 牧田スガ(まきた すが)は大笑いしている。向かいには今野円(こんの まどか)が坐っている。間にある悟徳学園のカフェテラスのマホガニのテーブルの上には現代文の教科書と国語辞典が並んでいる。
「でもさ、あの味ってどんな味なんだろうね」
「ん〜、まどかは、メープルシロップとかかなぁと思うよぉ」
「えっ、いきなりそっちなの、樹液じゃん」
「そんな、味のない言い方やめてよぅぅ、スガリィィィン」
「間違ってはいないョ」
「スガリンは何だと思ったのぉ?」
「んー……、糖蜜……黒蜜……いや、んーーーーーー」
「なんですかっ、なんですかっ」
「ん。黒蜜よりは、蜂蜜かなぁ」
「ええぇ〜、じゃぁ、まどかのほうがあってる気がするよぉ」
「どうしてさー」
「はちみつってぇ、ようほうじょう、みたいに集めて採るのは大変なんだよぉ、それにくらべたらメープルシロップは、ほらっ、木にきずをつけてぇ、樹液だせだせって木からすぐ採れるじゃん〜、ふるくからピープルに親しまれてそうだよぉ〜」
 円は、ちょっと得意顔をキメる。じゃっかん、想像の中に成木責めがまじっている。
「でも、あの木ってどこにでも生えてるわけじゃないでしょ」
 そう言うと、スガは国語辞典をひらいて、サの行の中から【さとうかえで】の項目をひきだす。
「うん、ここに書いてあるよ、北アメリカ原産って。――まどかくん、すくなくともサンタマリア号の時代より前には世界中の味にはなってないわけだよ、メープルは、わかるかに」
「むむぅ、わかりましたかにぃ」

「ふたりとも、なにか面白いおはなしでもしてますの?」
 スガと円がカニ言語をつかっていると、背後から柳田(やなぎた)先輩が声をかけて来た。
「あっ、柳田せんぱいぃぃぃ、いま、その〜っ、スガリンとですねぇ〜っ」
「柳田先輩、おききしてよろしいですか」
「なんですか? スガリンさん」
 スガがイスを引いて柳田先輩に席をすすめると、柳田先輩は軽やかに腰をかけて持っていた文庫本を置いた。
「あの――人の不幸は蜜の味――って言葉に出て来る蜜は、どういう味の蜜ですか」
 スガは、サッと疑問を投げかけた。
「――misfortune tastes like honey」
「あーー、なるほどー」
 柳田先輩のつぶやきにうんうんとスガはうなずくが、円の顔を見て「どゆこと?」という顔をしている。
「ハハハハハハニー。う、うわぁぁぁぁぁ、ということは、スガリンの提唱がアンサーっていうことですかぁ、柳田せんぱぃぃい」
「ん……、そういう説もあるというぐらいの事ですわね」
 円がくやしそうにスガのほうを向く、スガは「――あぁ、ハニーで、はちみつかぁ――」とやっと気がつく。
「さすがぁ、柳田せんぱぃぃ、最高裁判所の判断のようにバッチリです!!」
「けれど、蜜の味という言葉はちょっと美文調で翻訳くさいわね。美味しいことをあらわす言葉には、カモの味っていう表現がありますでしょ、そちらのほうが古さはありそうな雰囲気はありますわね」
「おぃしいぃぃですよねぇ〜、カモキャモ」
「まどかちゃんカモって食べたことあるの?」
「うん、カモステーキラーメンってのを兄上が食べに連れてってくれたことがあったよぉ」
「ううううううう、おいしそぅ」
 スガの空腹メーターは8あがった。
「えっ、じゃぁ、せんぱいぃぃ、ハチの妖怪ってのは、いないんですかぁ」
「飼われてた蜂の巣箱の中に殺された人間の魂が宿って亡霊になるとかいうのが、京伝か誰かの小説に書かれたりもしますけど、目立ったものは少ないですわね。山道に巨大なものがいたり、恩返しをしたり、伝承の中にいないということはないですけど……」
「わっわっわっ」
 円はいそいでメモをとろうとしたが特に手ごろな紙が引き寄せられなかったのか、ひらきっぱなしになっていた教科書のはしっこに、ぐじぐじぐじゃ〜っとメモをとっている。
「巨大な蜂ってのは!! どんな味がしますかねー」
 スガの目の中心にはハニカム構造なキラキラがかがやいている。
「大きな生物は良いか悪いかの両極端ですわね、もちろん、実際食べる段になったら、素焼きにしちゃったとか、大鍋でゆがいたダケで食べちゃった、とかいう選択肢をとるひとは少なくて、的確に味付けをするでしょうから、所詮は味付けを何でするかに依存するものよね」
 柳田先輩からはどしどし言葉が出て来る。しかし、その目は手もとで静かにひらいている文庫本の中身を進んでいる。
「スガリンだめだよぉぉ、何でも食べちゃあ!! きっとぉ、スガリン一族の先祖が巨大蜂をつくだ煮に加工しすぎてぇ、蜂たちは狐や狸みたいに妖怪として君臨するまでに繁殖できなかったに違いないよぉ〜!!」
「そんな容疑つけないでよー」
「時効にはしてあげるよぉ」
 円とスガが太古の時代(?)のお白洲にタイムワープしている頃、柳田先輩の文庫本は裏表紙をおもてにしてテーブルのうえに置かれており、さっきまでは無かったピンクや黄色の付箋がページからいくつもニョッキリしていた。


「フーコー」
「ハハハ、まどかちゃん、だからそれじゃ違うって、ハハハハ」
 円とスガは教室に向かう廊下を、またおなじことで笑いながら歩いていた。
「ねえ、まどかちゃん、柳田先輩のじゃましちゃったかな」
 スガは少しトーンを落とした口調できく。
「どうだろぉ、笑ってたけどねぇ、はっちゃんはどう思うぅ?」
「ソンナ キョダイナ ハチ ニホン ニ イマセン!」
 I-836は、別のところに反応してしまったようだ。
「でも、これでぇ、現代文の宿題にはいい豆知識が載せられるねぇ」
「まどかちゃんのメープルシロップは、敗訴ルートだけどね、ぷぷっ」
「えっ、違うよぉ、まどかは、カモの味をおりこんでぇ、そのあとにネギをオプションにつけてぇ、き・しょう・てん・けつ、400文字うめちゃうよぉ」
「あ、いいな、別の慣用句にも結び付けてるっ! 文字数ほとんど埋められそうじゃん!!」
「いいアイデアでしょぉ」
「いいなぁ、カモステーキラーメンも文字数の入れられるじゃないのさ!!」
「登場しないよぉ、あのラーメンには、ネギじゃなくて、いためオニオンが入ってたよぉ」
「オニオン!!」
「――たまねぎが入ってる言葉って知らないねぇ、はっちゃん、ないかなぁ」
「タマネギ……………………ナミダ」
 I-836は、たよりなげに回答する。
「もぉ、それって、慣用句じゃないよっ!! はっちゃん!! クッキング講座の初心者コースじゃないんだからぁ」
「んー、たまねぎの入ってる慣用句がもしあって入れたとしても、すぐに思い浮かばない程度の存在感なんだから、キャッチーな内容にはならないと思う」
「ああぁ……、かも知れないねぇ」
「……スイモ アマイモ カミワケテ」
「あっ! そうだよ、スガリン、甘い蜜からスタートするんだから対極の味の入ってることばで行けばいいよぉ!! それなら、いいのがあるかもしれないよぉ!!」
「そうか、甘いの対極ね」
「甘いぃ……いかのしおから」
「甘い……カプサイシン」
「アマイ……サンショウ」
 なにやら、つなげて聞くと気持ち悪い実験料理がベルトコンベアーでぽこぽこ流れて来てるような様相になってるが、円とスガによる現代文の宿題のアイデアづくりは、教室のイスに着席して、午後の授業がスタートするまでの間つづいた。



「決めたよ、まどかちゃん」
「わっ、何にしたのぉ?」
 妖怪研究会の部室に向かうスガと円の話題の中枢は、もちろんさっきのつづき。
「食べ物かどうかを人類が判断するために使ってた味覚の中では、なにが一番重要かっ?!」
「あっ、スガリンもその味ぃ!?」
「えっ、まどかちゃんもおなじようなこと考えてくれてたの?」
「あのねぇ、コゲた、いためオニオンは苦かったなぁ〜って思い出してぇ」
「そうっ、わたしもナポリタンのコゲたオニオン!! と、ピーマン、想像してそこにたどりついたよっ!!」
 ふたりの眼はかがやきを増すが、語っている内容の映像は果てしなく黒々とコゲた色をしている。
 コゲ色ファインダー。
「せんぱいっ、やなぎたせんぱいぃぃぃっ!!」
 円とスガは、布貼り表紙のついたファイルを眺めていた柳田先輩に同時に声をかけた。部室には同じようなファイルが何冊もある。
「……はい、きょうはスガリンとえんすけは狛犬みたいに並んでるのね」
 ファイルにおさめられている内容が心ウキウキする内容の写真や史料記事のコピーだったからなのか、柳田先輩はスキップするような口調で返して来た。
「さきほどと、ちょっと似てる質問なのですが」
「あはっ、こんどはネギの俗信でも陳述しないといけませんかしら……?」
 柳田先輩の頭脳の中では、世界各地のネギに関するおもしろい俗信や何かがぐるぐると投影されはじめている。
「ネギは結構ですぅ、からいですからぁ」
「んッ――寒くすればするほど、ネギは甘くなるものですわよ」
 少しムッとした顔で円を見る先輩。
「あのっ、ネギではないんですが、おききしたい味が……あるんです」
「ええ」
「あのっ、苦汁をなめる――の「くじゅう」は、まったく熟してない青い果物をたべたときのウエッとくるニガさなのか」
「そのぉ、うすめるタイプのコーヒーを原液のままごきゅごきゅしたようなニガ……」
「んッ――あなたたち、もう少し追求する方向というものをよく考えなさい」

 柳田先輩から下った休廷宣言に、円とスガは恐れちぢみ、胃の腑の中がすっぱくなったのであった。


(2014.02.08 氷厘亭氷泉)