えんすけっ! 2月の海水浴

「も、もう、ダメだっ!!」
「だめーーっ、あと4分は必要だからっ!!」
「あきっらっかっに……明らかにっ!! ひざから下の感覚が無いっ!! もっうっ無いっ!!」
「がんばって!! ぶっきー頑張って!!」
 日野寿(ひの ことぶき)はジーンズを膝の上までまくりあげて、すねから先を水の中につけている。
 その水には生命の故郷を思い出させる独特の香りがただよっている。――早い話がそこは海。真冬のさなかの海の中に、2本の足をつけているのであった。
「でも、ほら、きょうの太陽光線は気象庁の予想どおりでばっちりサイコーなんだよっ、間違いなく絶好の日和なんだよ!!」
 日野寿のとなりで、同じように潮の中に足をつけてる少女・野間果数実(のま かずみ)はブイサインを出しながら呼びかける。
 太陽光線は確かに春のような暖かさを地球上にもたらしている。しかし、時おり吹き寄せてくる風は北極直輸送という感じの冷たさ。
 きょうも寿は、果数実の考案した肉体改造健康法が本当に正しい効果を出すものなのか、身をもって実験してるのだが、まさか海にまでやって来て実験をするとは思ってなかったので、少しギブアップ気味である。
「じっ、実物の海じゃなくても、おんなじ濃度の塩水をつくればいいんじゃないのっ?」
「日を良く浴びて! 足を海につける! これで生命体はパワーアップできるっ!!」
 果数実はぷるぷる震えながら、両腕をひろげて日光をあびてる。
「ですからっ、おんなじ濃度のっ」
「海水が大事なんじゃないよっ、海、海洋、大海洋っ!! これに足をつけることが大事なんだよ」
「ミネラルとかそういうことなのっ!?」
「いや、ここちよさというか開放的なきぶん……」
「じっ、じゃあっ、天井に星座が並んでて、心地のいい環境音楽の流れる、吹き抜けの大きなドームの中とかでもいいんじゃないっ?!」
「あーん……それはそれでいい結果が獲得できるかもね、ぶっきー、いいアィデアだよん!」
「もももも、もうすこし実験環境も人体にやさしい健康法を考えることにつとめろっ!!」


「日光はいい感じだったんだけどなあ、やっぱりこの時季は風の無い場所じゃないとだめかあ……」
 そう言いながら果数実はホットミルクの入った紙コップをふたつ持ちながら歩いて来た。
「思いついたあと実験環境までよく考えなかったからよっ!!」
 日のよくあたるベンチの上に坐って、寿がぷりぷり怒って言い放つ。
「でも、海でも波の音とかが心地よく精神にもいい影響を与えると思ったんだよん」
「海坊主じゃないんだから長時間この風の中、海につかって立ってなんかいられないわよっ、だいたい日光浴で免疫力を増大させるなら、採光の適した部屋でリラクゼーションの方が効率的っ!!」
「あっ、ぶっきー、それはダメだよん」
 ミルクを渡しながら果数実が言う。寿は受け取ったホットミルクをすぐにひとくちふたくちのむ。
「日光浴しながら惰眠をむさぼることは意外の病因を呼ぶからダメ!! こたつで眠りこけるのと同じだッ」
「ぶ……っ! そう来る? そう来る?」

 寿と果数実は、さらに舌戦をヒートアップさせるかのように見えたが、ある程度に言い合いをくりひろげた途中、フッと寿が議論の温熱を下げて、ホットミルクの入っている紙コップをじーーーーっと見詰めだした。
「ねぇ、かずみさん、ちょっとおうかがいしてよろしいですか」
「はい、なんでございますの、ことぶきさん」
「こ……この紙コップのホットミルク、どこで手に入れたのっっっっっっ!!」
「えっ、え……どこってあそこ」
 ちょっとビビった果数実がさす方角の先には、臨時イベントとして建てられたようなタープテントの中で牛乳やアイスを売っているような景色がうすぼんやりとうかがえる。
「……あいつら……こんなところまで魔の手をのばして来たのね」
「えっ、この牛乳、魔の牛乳なのんっ?」
「ちがうわ、牛乳は関係ないのよ」
 スッと立ち上がった寿は、そのまま早い歩調で紙コップを握り締めたままテントに向かって行った。果数実は何のことなのかさっぱりわからないので、顔をおろおろ動かしてる。



「――あんなものを販売してるなんて、保健所はもっと正しく仕事をしないといけないわよっ」
 翌日、朝の校門での風紀審問をおえて教室にやって来た日野寿の表情は、いつもよりもきびしくイライラしている。階段をあがり、2年生の教室の並ぶ廊下を歩いて行く寿の背後には、いつの間にかひとりの影が近づいていた。
「日野さんって、あなた?」
「はい?」
 寿が振り返ると、髪をキレイにのばした身長の高い生徒が腕組みをして立っていた……。


「ぶっきー、それって果たし状みたいなもんだよっ!? どうするのっ!?」
 果数実があわてて寿に言う。
「別に……、こちらの言い分を相手にぶち当てるのみよ」
「でも、呼び出しかけて来た、その高橋さんって昨日ぶっきーが売り場にボロクソにクレーム出したあの……毒の虫の製造会社の社長令嬢なんでしょ?!」
「ドクの虫じゃないわよっ、ヤマイの虫っ!!」
「でも、よくわかったね」
「あのホットミルクの紙コップに印刷されてたでしょっ、あの虫の絵がっ!!」
「ちがうちがう、そうじゃないよ、ぶっきーがクレーム出したって事を、よくこんなに短時間でわかったってこと!」
「そこは盲点だったわ……、まさかあんな迷信企業の娘がこの崇高な悟徳学園にまぎれこんでてしかも隣のクラスに通っていただなんて……」
「だよね。でも、あそこでいっしょに売ってたアイスがそんなものだとは思わなかったよ……」
「だいたい、変な生薬まぜたアイスに病の虫のかたちのサプリメントのせて売って、〔病状にあった病の虫タブレットをトッピングしたアイスで身体にイイ!!〕だなんてどう考えても、まやかし過ぎるわよっ」
「アイスはからだにいいんだけどなー、でも確かにサプリメントの錠剤だけでは体質は健康にならないなー」
「そこは別にいいわよ、でも解説看板に事ありげに〔和漢方の古文書にしるされた病のモトと考えられた病の虫たちにとてもよく効く生薬と栄養素を完全に配合!!〕って書いて、みんなをまどわせてるあたりが完全にダメよ、まやかしよ、間違いだらけよ!!」

 寿はケータイで撮った看板を果数実にバッとつきつけて熱論する。看板には『病形図』という古い絵巻物をプリントアウトしたとおぼしい奇妙な病の虫の図と、コノ虫ニハ……と漢文のような調子で書かれた文が貼られていた。虫には肝臓、心臓、腎臓、肺、そのほか、いろいろな病状ごとにわかれてるらしく、それぞれ違うかたちの図と、薬草の処方や鍼(はり)の打ちどころなどが書かれているようだが、果数実は古文の成績がかんばしくないので書かれてる字の並びはヨクワカンナイ。

「でも、どうして海に呼び出されたの」
「知らないわよ」
「どうしよう、水葬にされちゃうんじゃないのっ?! ぶっきー」
「そ……そんなわけないでしょ、相手だってこの崇高な悟徳学園に通ってる人間よ、そんな、ネアンデルタール人じゃないわよ」
「わかんないよ、昨日のお昼に言ったばかりでもうクレーマーにそんな果たし状めいた呼び出しをかけて来るんだから、高橋さんもぶっきー以上に怒り心頭してて、バーサーカーになって来るかもしれ……」
「そっ……それならこちらだって……」
「こちらだって……って、あれ? なに? ぶっきー、この肩をむんずっとつかんだお手々は」
 果数実の肩には寿の手がのっていた。

高島さん

「あら日野さん、お呼び立てした時刻に遅れてしまってごめんなさい……あら? そちらの方は?」
 その日の午後の例の海べり。今日は風もほとんどなく、海の顔もおだやかだ。
 日野寿の横に立っている野間果数実を見ながら函館と千葉に大きな牧場をもつ乳業会社の娘・高島さんが声をかける。
「……誰だっていいでしょ」
「日野寿の、改造友人よっ!!」
「そういう変な言語やめなさいよっ」
「ごめ、ぶっきー」
 ふたりの様子をみて高島の顔色はサッと変わる。
「……なんでですかーーーーーーーーーーーーっ!!」
 急に大声で走り寄って来る高島さん。
「日野さんっ!! ……こちらからあなたに来ていただいて、まずじっくりおききしようとしてましたのにっ、あなどれませんわねっ!!」
「はっ?!」
 高島の言わんとしていることがほとんど理解できず、寿と果数実は目がどうしていいものか迷い果てている。
 すると、高島さんはガバッとスカートをひるがえし、たちまちハイソックスと靴を脱ぎ捨てて裸足になると、果数実の目の前に高速接近した。
「ああああ、あなた、極楽第一アイスさん!?」
「えっ……ああ、…………そすです」
 こくん、と答える果数実。寿はただぼうぜんとしている。
「やだっ…………えっ、あなたも悟徳の……、そうでしたの、極楽第一アイスさんの肉体改造サイト、拝見させていただいてますっ!! 先週の、この!! 日光海水法っ!! もっと詳しくおききしたかったんですっ!!」
「えっ…………あ〜……?」
 寿はただぼうぜんとしている。
「いつも、極楽第一アイスさんが、サイトでぶっきーぶっきーとお呼びになってるお友達の写真(目線入り)が日野寿さんに激似すぎるというウワサを耳にして、もしそうだったら、日野さんにこっそりおききをして、ここであのスバラシイ日光海水法についてうかがおうと思ってましたのに……、まさかご本人をお連れ下さるなんて……!! スバラシイですわ!!」
 腕をつかまれ、感謝をされる寿はほぼ無表情無反応。
「ごっ、極楽第一アイスさん!! この前のせておられたこの肉体改造健康法は、ぜひ、うちの新しい乳製品にも複合させたいんですの!! つきましては、ぜひ、そのもっともっと詳しい教えを!! 教えを!! 海! 海洋! 大海洋のちからをお示しになって!!」
「あれはまだキチンとした肉体改造データがまだ実際には取れて無……ぶぶぶぶ、ぶっきーーー!! なんとかしてぇっ!!」
「がんばれ、あっはっはっ」
 寿は、もう文句もふっかける気力も失って、ただニガワライを浮かべるのみだった。



 それからしばらく、野間果数実は高島の追跡をのがれようとビクビクガタガタして学園に通っていたが、高島は果数実の目の前で挑戦してみせた日光海水法がモトで盛大華麗な鼻風邪をひき、一週間近く病欠していたのだった。


(2014.02.08 氷厘亭氷泉)