「やったね、こっれっでっ! 今回は折口先輩からもらったミッション完璧だねっ!!」
西階段をあがりながら円がにこにこ微笑んで言う。
「ジュギョウマデ アト 206ビョウ デス」
「わぁぁぁぁぁぁぁぁっ、急がないと、急がないとぉっ!!」
――円がてすりに手をかけながら壮大な加速をキメ込んだそのときだった。ブレザーのポケットから先程のおすいこ様キーホルダーはポロッと宙に舞い飛んだ。しかし、円もI-836もそのことには気がつかず、教室に向かってひたすらダッシュする。
「ぎりぎりっセェーーーフっ!!」
「どこ行ってたんだ、まどか」
教室の戸をあけて叫びながら突入してきた円に、口井章(くちい あき)は教科書とノートを取り出しながら言った。
「あっ、あのねぇ、ミッションをっ」
「はやくすわれ」
「あっ、あのねぇ、ミッションっ」
「まどか、教科書ちがうの出してる」
「わぁっ、あのねぇ」
円があたふたと教科書を出しなおしてるうちに、授業がはじまってしまった。
授業がはじまって30分くらいが経過した頃、章がフッと円のほうを見てみると明らかに数分前とくらべてかたちがおかしい。
机の上に両の手をついて、下を向いてジーッとしている。眠ってるのかと思ったが、突っ伏してはないので眠りの国に旅立ってるわけではないとすぐわかったが、明らかに教室に駈け込んで来たテンションと違う。微動だにしていない円を見ながら、章は不安な気持ちに襲われまくった。
「……まどか、どした、走ってきたときのはずみでパンツでも破けてたのか?」
授業が終わってすぐ、章は円の顔の真横に顔を近づけてこっそり、アリがうがいをするようなボリュームで声をかけた。
が、円は授業中と同じように、いち微量も動かずに沈んでいる。
「どした、おい、よみの国行ってるぞ、……おーい、おーい、まどかきもいよ」
「…………あ、あきちゃゃゃゃぁぁぁぁん」
章の呼びかけにハッと気づいたかと思うと、円はたましいを取り戻したのか半べそな声をあげた。
「な、な、ななな、なんだよっ、……ちゃんと他のやつに聴こえないように訊いたろッ」
「うっ……大変だよぉぉ、なくなっちゃったよぉぉぉ……あきちゃゃぁぁん……」
「えっ!? 落としたのか」
「先輩のなのにぃぃ……」
「なにっ?? しかも、自分のじゃないのかっ!? まどか、わけわかんないぞ、そもそもそれは犯罪に……」
「このままじゃぁ、もう折口先輩に口きいてもらえないよぉぉ……どうしよぅぅぅ」
「よりにもよって…………。よし、いいか、まどか、何事も正直に罪を認めて謝ることが大事だ」
「あんな大事なもの……なくしちゃったらぁ、もしかしたら……ころされ……」
「いや、いくらなんでもそこまではないだろ」
「……でもぉ、まどかに渡すときに」
「渡す? なんだ……ひやひやしたー。直接渡されたなら、ほら……まだ、だいじょぶだろ」
「だいじょぶじゃないよぉぉぉぉ!! まどかに渡すときに『放課後までに部室のカバンにもどしておけ』って先輩が言ったんだよぉぉぉ!! あの、おすいこ様キーホルダー」
「おすいこっ? ん?」
「うわぁぁ、せっかく『この、あたらしいおすいこ様キーホルダーの瓜がどの品種のものか調べろ』って先輩のミッション、頑張ってこなしたのにぃ……、もうだめだよぉぉぉぉ、あれ失くしちゃったら、もう部活にも学園にも来れないよぉ……うわぁぁぁぁぁぁ」
あたまをかかえて悩みの淵に落ちていく円。いっぽう章は「ん?」という反応以後、半分あきれながら話を聴いていた。次の授業の開始のチャイムが鳴り始めていた。
その日の授業がすべて終わったころ、円の失くしたおすいこ様キーホルダーはうぐいすの近くでぷらぷらと揺れ動いていた。
ただし、うぐいすとは言ってもナマのうぐいすではなくて、つくりもののうぐいす、悟徳学園の美術部部長・吉川観保(よしかわ みほ)のツインテールにいつもついてる髪飾りのうぐいすのシッポに引っかかってぶら下がっていたのだった。
階段をおりていた観保にたまたまひっかかって、およそ2時間ちかく、観保の髪の結び目近くにずっとおすいこ様キーホルダーはぶらさがっていたわけだが、歩くときも坐るときもノートを取るときも姿勢がスッと正しいため、まったく落ちることもなく、そのままぶらさがっていたのだった。
「……まったく、先輩も先輩だよ、あんな河童の持ってる瓜なんかどんな品種でも」
「ウリ ノ シュルイ デ イロイロ アルノデス」
「そうなの? ……で、どういう通り道で教室まで加速し……まどかっ!! 聴いてるっ!?」
授業が終わった瞬間、章は円とI-836をともなってキーホルダーがどこかに落ちてないのか探しに出ていた。帰りのホームルームがはじまる前に見つけないとまずいので効率的に探したいが、円のテンションは壇の浦に沈み果てた平家の武士みたいになっている。
「トショカン カラハ ココマデ マッスグデシタ」
「図書館と、この廊下に落ちて無いんだから、あとは階段しかないね……」
「ミアタリマセンネ」
章は階段のあたりをきょろきょろと見回してみるが、もともとゴミなどの落ちてもいない悟徳学園の階段や廊下には目につくような落とし物はチリひとつも無い。
「ねぇ、まどか、本当にポケットにしまったの?」
「ぅん…………」
「イレタ ハズ イレタ ハズ」
「困ったな、もうホームルームはじまるし……」
すると、階段を速い歩きの勢いでひとりの影がおりて来て、そのまま昇降口に向かって出て行った。
「ア!! イマ オリグチ……」
「なッ……?! まじかよっ」
章が廊下をツカツカツカツカツカと高速スピードでどんどん進んで小さくなっていく人影を目を細めて眺めると、確かにそれは折口忍の姿であった。
「はやっ!! もうあのクラス、ホームルームおわっちゃったのかよっ……まどかっ!!」
「うわぁぁぁぁ、あきちゃぁぁぁん、もうダメだよぉぉ」
「ホームルームとまどかのバッグは何とかしとくからっ、まどかは早く追いかけてあやまれっ!!」
「えぇぇぇぇぇっ!!」
「はーやーくーーっ!!」
章にドンと背中をおされた円は、そのままI-836に肩をおされて忍のあとを追うように駈け出して行った。
忍の歩調はものすごく速い。特に「何か入手するターゲットを定めて」猪突猛進な気分で歩いてるときはとんでもなく速い。悟徳学園の正門を出てどんどん進んでいく。その手には、『放課後までに部室のカバンにもどしておけ』と言ってたカバンも既に持たれている。
I-836におされながら円もおいつこうとしてるが、なかなか追いつかない。
……と、いうよりホームルームが終わった他の生徒たちの人群れにもところどころ遮られてしまい、忍を軽く見失ってしまったというのが正しかったかも知れない。
いっぽう、折口忍の脳内には今日発売されるマンガ雑誌のことしか頭に無かった。いつものごとく高速でそれを入手しおわった現在、向かう場所はただひとつであった。
「いらっしゃいませー」
紅色に白く『御膳しるこ 田舎しるこ つぼみ』という字の染め抜かれた暖簾をくぐり店内に入った忍は、脇目もふらずにいつも坐ってる席につく。
「ソーダ水」
注文内容だけ明確に発すると、あとはもうクラフト紙の袋の中から雑誌を出してじっくり読み始めてる。
「あ」
しばらくして、『つぼみ』に入って来た吉川観保は、ひとことそう言うと軽く会釈をして奥のほうの席へと坐った。その時、くるっと動いた観保のうぐいすの髪飾りからおすいこ様キーホルダーが落ちて、忍が椅子の上に置いた例のカバンの中にぽとっとホールインワンした。
忍と観保は良くこのおしるこ屋で出会うが、特にしゃべったことなどは無い。単に「あ、おんなじ制服がいる」程度の認識。忍はソーダ水をお供に雑誌を読みふけり、観保は御膳しるこを相手にあたまの中で次の絵の構図と親しみ、店内は長唄や常磐津がうるさくないボリュームで流れてるだけで、いたって静かだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、せんぱぁぁぁぁぁぁぁぃ!!」
「……んっ?」
忍を発見した円が店になだれこんで来たとき、やっと忍は雑誌から視線をあげてあたりをくるっと見まわした。
「せんぱいぃぃ、すみませぇぇん、もうっ、まどかはっ、あの、は、はか、はか、はかっ」
「!!」
「はかっ、墓に入っておわびをっ……」
「そうか!! はかたの越瓜ね!!」
円は深刻な口調でわびを入れてるが、忍はおすいこ様キーホルダーに一直線。カバンにガサッと手を入れると、ちょうどぴったり観保からホールインワンした位置。忍はスッとそれを持ち上げると瓜のかたちを見つめる。
「なるほど、確かにこの形と筋の入り方は、"はかた" だわ、あんた、案外すぐ調べられたわね」
「そうですぅ、瓜の種類はそれかなぁとわかったんですけどぉ、許してくだ……えぇっ? あっ、そ、そうですっ!! ばんざぁぁぁーーーーーーいっ!!!」
深く下げてた頭を持ち上げた瞬間、ぷらぷら動いているキーホルダーを目にして緊張が一挙に解かれた円だったが、そのバンザイアクションで忍の飲みかけソーダ水をこぼし、再び悩みの淵に落ちるのだった。
(2014.02.08 氷厘亭氷泉)