えんすけっ! おつかれ脳髄

 ――ザザッ、ガガッ、ザザッ。
 公園の空気の中をいくつもの音が走り抜ける。
 桂和美(かつら かずみ)は真上に向かって小枝を投げては、それが落下するまでの間に肩をあげたり、片足を素早く突き出しそうにしたり、何かしている。
 小枝がザザッと枯れ葉の音まじりに足元に落ちると、またそれを拾って同じような動作をくり返してる。
「難ワザ・あまだれおちの会得は難しいゼ……」
 和美は首をかしげながらそう小さな声でつぶやいて小枝をまた真上に投げようとしたが、少し狙いがはずれて植え込みの中に墜落してしまった。
「うっ、雑念、雑念」
 植え込みの中に腕と顔を突っ込んで小枝を拾う。
「いてッ」
 和美の耳たぶのふちに1ミリメートルくらいのキズが出来て血がすこし滲みだしてる。
「あーあ、根つめてトレーニングやりすぎたゼ……きょうはもう止しとくか」


 今野円(こんの まどか)とI-836は休日の午後、買い物に行くためホームセンターに向かっていた。
「もーうーぅ、はっちゃんがあんなこと言うからいけないんだよぉ」
「スミマセン」
「エアコンのあったかぁい風が顔にあたる防止策は、あれじゃあダメだよぉ」
「デモ、ノリキ デシタ デシタ」
「あ、あれははっちゃんの発案がイイって思ったからだよぉ」
 円は歩きながら両手をぷりぷり振ってI-836のほうを向く。
「デモ ノリキ デシタ デシタ デシタ」
 I-836は特に表情も変えずにいる。
「ソレニ、ジッコウシタノハ……」
「うぅ、わかったよぉ!! まどかの、まどかのせいですよぉだ! ……うぁっ」
「ナンデス?」
「この……、こっちの、腕が……」
 円は手提げかばんを持ってる右腕をぷるぷるさせる。
「ダッキュウ デスカ?」
「ううん、ちがうぅ、ピーンとなって……ピーン」
「ツッタ ノデスカ」
 I-836は円の右腕に手を添えて、少しのばしてやる。
「ぎゃあああ、それだめっ、それだめっ、はっちゃん、限界、限界ぃ!!」
 いい感じの高音でお腹から声をあげる円。その後、ちょっとの間、ひざをばたばたさせて「限界」とか「無理」とからしき言葉を口パクしていた。
「オサマリマシタカ?」
「ふぇぉぅ……」
 I-836は円の腕から手を離すと、手提げかばんをサッと受け取る。
「ヤハリ サッキ ヒツヨウイジョーノ フカガ カカッテマシタネ」
「うん……かもね」
 円は午前中のこと――風向き設定を変更しても顔にぶちあたりまくるエアコンのあたたかい風を防御しようとモウレツな勢いで下敷きを振りまわしてブチ折ったこと――を脳みその中で高速再生しながらそうつぶやいた。
「コレモ ヒツヨウイジョーノ フカ デスネ」
 I-836は円の手提げかばんをてのひらの上に乗せると、はかりが物の重さを計るみたいに上下に揺らす。
 透過ヴィジョンで観てみると、円のその手提げかばんの中身は本、雑誌、雑誌、手帖、紙のきれっぱし、フルーツゼリー(硬くて四角いやつ・マスカット味)、あぶらとりがみ、紙のきれっぱし、手帖がゴチャっと入ってて、ちょっとした重量になっていた。
「スコシ オオイデス」
「あちゃー、確かにぃ、どれか出してから来ればよかったねぇ」
「キヲツケマショ」
「はぁい、はっちゃん。――そっかぁ、まえ折口先輩から教えてもらったクモとかトカゲの俗信のはなしがいっぱい載ってる生物の雑誌ここに入ってたんだぁ、早く読まないとなぁ」
 片手で肩をもみもみしながら手提げかばんの中を覗き込む円。
「ナラベカエ・ブックマーク シテオキマス」
 I-836はそう言うと、ものすごい速度で手提げかばんの中身を整頓した。
 本や雑誌はまっすぐに、柳田先輩から教えてもらったサイトや資料を書き込んだ紙のきれっぱしは手帖(買ったあと放置してるのでほとんど真っ白)の間に、フルーツゼリーとあぶらとりがみは内側にある小さいポケットに、それぞれシュッシュッスポっと格納されて円がさっき言及した雑誌の該当ページのはじまりには、ドックイヤーがつけられた。
 この間、わずかに2.8秒コンマ以下不明。
「すごいねぇ、テクノロジーだねぇ」
 円はI-836が持ったままの手提げかばんの中をまた覗き込む。
「でもさぁ、はっちゃんはさぁ、疲れたらどうするのぉ?」
「テンプラアブラ ヲ サシテクダサイ」
「それは、いつもと変わらないじゃん、ほらぁ、温泉は成分によって特別の効能があったりするみたいにぃ、特別に効能のあるあぶ……」
「フカイリ ゴマ」
「ふぇっ?」
「ゴマ フカイリ」
「ふぇっ? ミラクル高級品でしょっそれぇ、きっとココに売ってないよぉ」
 円はそう笑いながらI-836から手提げかばんを受け取り、二人はホームセンターの駐車場口を曲がって行った。


「おぅ」
「あ〜っ、和美ちゃん」
 ホームセンターの店内で円は桂和美と遭遇した。かよってる高校は違うが、和美は円の中学時代からの友人だ。
「何してんだ、こっちまで来て」
「下敷きを買いに来たんだよぉ」
「わざわざこっちに? あいかわらずな感じだゼ」
「だってぇ、あの下敷き、ここじゃないと売ってないと思うんだもん!!」
「まぁ……確かにあんな変なのは、文房具屋じゃ売ってないとは思うゼ、おぃ、どっち行くんだ」
 すいすい歩いて行く円とI-836を和美が呼び止める。
「え、こっちのほうでしょお? ノートとか糊」
「先月っから並べ方また変わったんだゼ!! こっちだこっち」
 和美が先導役になって三人はホームセンターの中を進んで行く。
「園芸売り場がちょっと大きくなっちまってさ、棚の配置変わってんだ」
「やっぱり和美ちゃん、お花について詳しいねぇ」
「おぅ、そういえばまどかがさ、むかし植えたグミの苗木どうなった?」
「まどかといっしょに庭に植えたあれぇ? ちょっと大きくなったよぉ」
「まどかんちの庭ひろいからなぁ、はじめて行った日はおったまげたゼ」
「コチラデスネ」
 コピー用紙の束や箱、ノートや文房具、ポスターカラーなどが置いてある一角を見つけたI-836がさっそく商品サーチをはじめる。
「こいつ、目からなんか光線だしてるゼ、いいのか」
「だいじょぶだよぉ、和美ちゃん。あれっ、こっちの耳どうかしたの?」
「あぁ、これか大したことないゼ、かすっただけ」
 和美が耳のキズあとにちょっと触れると、かさぶたがまだ不完全だったのか、カサッと血が出る。
「わぁっ、ちゃんと サニタイジングしないとダメだよぉ、はっちゃんチョット探すの続けててっ!!」
 そう言い残して円は急にモト来た方へと店内を駈けて行ってしまった。
「また暴走しだしたゼ……」
 和美はそう言ってニッコリ笑っていた。

「サニタイジングとか言いだすから、なに大それたもん持って来たのかと思ったゼ」
 和美はそういいながら、耳のキズに手でぱたぱたと風をおくってる。
「ちゃんとサニタイジングしないと、化膿しちゃったりするよぉ、和美ちゃん」
「うー、この消毒液スースーする……でも、まどかの爆走事故っぷりも見事だったゼ」
「うわぁぁ、もう言わないでよぉ、だめだよぉぉぉ、いきなりダッシュしたんで脳髄が疲れたんだよぉ」
 円はおでこのあたりをさすりながら顔を赤くしてる。
「だって、ありそうだけどなかなかお目にかかれないゼ、特売のハミガキのカゴにつまづいて、そのままリンスの詰め替えパックの山にガッスンガッスン激突しまくってくなんて光景」
「もぅぅぅぅぅぅ、和美ちゃんんんん」
「しかし、こっちのコはすげぇゼ、あんなリンスとハミガキのがれきの山をまたたく間に直してくれたもんな」
 まだ和美は耳のスースーを気にしてる。
「ほんとだよぉ、はっちゃんゴメンねぇ、この下敷きも見つけてくれたのにぃ」
 円は「畑のさくもつ種まき時期一覧表下敷き」を振って(微弱)I-836をあおいであげる。
「モンダイアリマセン キィィィィン」
 変な音がI-836のアンテナの付け根あたりからする。
「おぃ、だいじょぶか」
「モンダイアリマセン キィィィィン」
「何か変な声がしてるよぉ!! はっちゃん!!」
「ソウデスネ キィィィィン」
 I-836が、アンテナの付け根のあたりにトンと手を置くとアンテナがシュンッ!! と収納されて、またシュッと出た。
「スコシ ウゴキスギテ アンテナ マガッテマシタ」


 ゴトゴト。
「……よぉし、棚の奥の方にあったよぉ、よかったぁ……」
 その日もだいぶ深夜になって、電気を消したキッチンから出て来たのは円だった。
 きしきしと足音をたてないように、階段をのぼってゆく。
「きょうはごめんねぇ、はっちゃん。明日起きたらこれ飲んでおいてねぇ」
 円は小声でそう言ってソファーでスリープ状態になってるI-836の脇に何かコトッを置いた。
 「深煎り胡麻油」と「フカ入り胡麻油」の勘違いが明解判明し、みんなの腹筋をよじらせたのは次の日の午前8時だった。  


(2014.01.26 氷厘亭氷泉)