きょうも今野円(こんの まどか)と口井章(くちい あき)は一緒に登校している。
冬の朝、ふたりの口許には、ぽうぽうと白い息がたってた。
「アスファルトがあっちこっち白くなってるねぇ」
「残念だったね」
「えっ、あきちゃんなにがぁ?」
「また、雪降ったりして道路がベチョついてたらアレやる気だったんでしょ」
そう言うと、章は足をおおげさに踏み鳴らす動作をしてみせた。
「それってぇ、なに?」
「何? って、音のたつアレ、やる気だったんでしょ」
コツコツと靴の音を章は鳴らしてみたが、冷静に考えてみると、円より自分のほうが明らかに珍妙な動作だ、とハッと気づいてすぐにやめた。
「……でしょ」
「あぁー、……はっちゃん、あきちゃんの今朝の第一のクエスチョンの答え、なんだかわかるぅ?」
円はくるっと振り返って少し歩調をおとし、後ろのI-836のとなりにポジションを替えた。
「ビシャビシャーガツークー」
I-836は、そう歌いだすとさっきの章の動作を真似て、2、3回足踏みをしてみせる。
「えぇ、はぁ、あぁーーーーあぁ、ビシャ? ビシャをまどかが雪の上でやると思ってたのぉ? あきちゃぁーーーん、ピンポンピンポンですかっ?!」
「かっ、肩をどんどん叩くなっ」
「あっ、そのお顔はピンポンピンポンだねっ、でも違うよぉ、あきちゃんー、雪のときはこうっ」
そう言うと円は右足を後ろにまげて、その場に片足でぴょんぴょん跳ね上がる。
「こういう風に、けんけんすればぁー、シッケンケンのぉー」
ぴょんぴょん跳ねながら、また円は章の真横に追いついて来る。
「跳び方でぇー、雪のときはー、あっ、こっちをまどかはぁー」
「わかりましたよ、設問側の誤認でしたよ」
濃いえびちゃ色の毛糸のてぶくろをはめた手をひたいにあて、章は困り顔でつぶやいた。
「あーぁっ!!」
「どうしたのッ」
円が急にテンションの違う「あっ!!」を口にしたので、章は急いで身構えたが、円は転倒したワケでも猟師に鉄砲にうたれたワケでもなく、立ち止まってぴょんぴょんと跳ね続けていた。
「まどか、なに急に立ち止まってるの、それにその跳ね、きもいよ」
「だって、ほらぁっ、これっこれっ」
章が円の頭にもふっと手をのせると円のシッケンケン跳びは停止したが、今度は激しい指差し確認が動きをはじめた。
「どれっ……、指動かし過ぎで、どれさしてるのかわかんないよっ!!」
円が道端に建ってる自動販売機に向かって激しくテンションをあげてるのに対して、章はあくまでもいつもの調子で攻める。
別段、すごそうな自動販売機では無い。
多機能搭載というわけでもないし、どちらかというとオンボロな機体である。暗くなってから眺めたら、数字などの明かりも輝度が地味に低そうな気のするくたびれ感である。
「どこって、ほらほらほらほほらほらほらほほら!!」
円はシュッとのばした指の先をひとつの商品に合わせた。
そこにはあまり見かけないデザインの缶があった。
「そのテンションのたかまりの燃料が全然わからないんだけど」
章は円の指先にジーッと目をやっていたが、脳の中では半分くらい「あと何分かかるんだろ」と考えていた。
「こ、れ、は!! イモホリボンだよぉ!! あきちゃんその反応おかしいよぉッ!!」
「いもほり?」
「あんまり自動販売機で売ってないんだよぉ!! ここに入るようになったんだよ!! イモホリボンが流通から迫害を受けてるってのは迷信だったんだよぉ!!!」
「ひとを指でびしびしさすのやめっ」
章はそう言うとじっくりと自動販売機にぽつんとひとつだけ入ってるイモホリボンを眺めた。
里芋に目鼻のついたキャラクターがイラついた表情をしてる絵が描かれていてなんだかイラっとしたが、〔果汁0パーセント・炭酸飲料〕という表示が読めた。
「芋だけど、おしることかみたいなものじゃないんだ」
「お、おしる……ひどいよぉ、あきちゃんも好きなサイダーだよっ、美味しいよぉ」
「いや、見たこと無いもの、だって」
「じゃあ、章ちゃんも買ってよぉ、お昼に飲もうよぉ」
「いや……、缶だし……、ペットボトルならまだいいけどさぁ」
「飲もうねぇ」
円の手は既に硬貨を入れる作業とピッと押す作業に移っていた。
ガトンッ☆
放課後――、円は妖怪研究会の部室に行こうと濃い茶色の手すりに手をすべらせながら学園の大きな階段を下りていたが、途中で部活の先輩の鎌倉音東(かまくら おとひ)に会い、今日はカフェテラスに集合するということを聞いて一緒に向かうことにした。
「先輩、きょうは何でカフェなんですかぁ」
「きょうは、いろいろみんな予定があって人数が多くないからね、柳田先輩が『暖かいところでやりましょう』っておっしゃったの」
「オットー先輩、持ちまぁす」
「円さん、ありがと」
音東が両手で持っていた紙袋ふたつを円は受け取ると、ひとつをしっかり持ち、もうひとつをI-836に持たせた。
折口忍などが "オットー" と呼んでいるので、円も自然と音東のことは "オットーせんぱい" と呼んでいる。
悟徳学園の日当たりのよい位置にあるカフェテラスの、背の高いガラスの内側の席には、もう柳田先輩が座ってた。
メールをしてるのか何か原稿(?)を処理してるのか、とても小さなノートパソコンのキーボードをしきりに打っていた。
「先輩、すみません、これが先月データどりをしておいた説話の本です」
音東は手早く紙袋をひとつ、I-836から受け取って、マホガニのテーブルに置く。
「いつもありがとう、案外あつまったね」
「はい、文芸の小関がいくつか余分に買って置いてくれたのをもらったので、予定より増えました」
柳田先輩はノートパソコンをとじて紙袋の中をサッとのぞいている。
円とI-836、音東はこの時点でまだイスに腰かけてない。まわりを見てみると妖怪研究会のメンバーは他には誰もいなかった。
「ふたりで何かしてましたの?」
「……あのぉ、オットー先輩と、さっきたまたま会いましてぇ、この」
「違いますよ、鎌倉さんと小関さんの、こと」
顔も向けずに放たれた柳田先輩のことばに、円は早速「あちゃぁ、やっちゃった!!」と今日もこころで叫んだ。
「あぁー、いつもどおりですね」
音東は、ほほえみながら柳田先輩に答える。
「なんだ、また図書館で競争ですか。……ふたつ、みっつ、よっつ……」
柳田先輩は紙袋を胸元に持っていって指先で資料の冊数を数えている。そして、数が確認できたのかどうかよくわからないが、紙袋を押さえていた方の手で「おかけなさい」と指示するように、てのひらを軽く出した。
「この本、4色刷りで口絵が入ってるのもどれか1冊ありましたでしょう?」
「ハイ、ありましたね、えぇと……円さんのね、そっちの紙袋を」
柳田先輩の向かいのイスに腰かけた円はパッと紙袋を差し出す。
すこし勢いが良すぎたのか円の差し出した紙袋は、ジャッと大きな音をたててテーブルの上に着陸した。
「あぁ、この先生がまとめてる資料集だったのですね、なるほどなるほど――」
柳田先輩は別に気にもせずページをひらいてぱらぱらと中身を軽くチェックしている。
「あのぉ、オットーせんぱぁい」
「はい? どうしたの」
「この紙袋、知ってますよぉ、お菓子屋さんのですよねぇ」
円は資料の入れられてた紙袋に指をのばす。しかし、その動きは朝とは打って変わっての静かテンションだ。さっきの「あちゃぁ」のショックが脳神経に達したせいかも知れない。
「知ってる?」
「知ってますっ!! 新聞に載ってましたよぉ」
「そうだ、お菓子本体はね、こっちにあるの、円さんも食べる?」
「ええっ!! いいんですかぁ」
音東は自分の鞄の中から教科書の大きさくらいの紙箱を出すとテーブルの真ん中に置いた。
「わぁぁ、くばんだ餅の黄色いほうだぁ」
「キイロ クバンダモチ」
「先輩、どうぞ」
「黄色いほうとか言ってますけど、何か特殊な色のもあるんですか?」
柳田先輩は資料のページを眺めながら音東に向かってそう訊いた。
「いくつか種類がありましてね、このお餅の中に入ってるギョーセンの色で何色何色と分かれてるんです」
「ギョーセンというと、あれね、水あめですわね」
柳田先輩は箱からひとつ、くばんだ餅を手にとると和紙の包みをひらく。
「円さんも、はい」
「やたぁ!! ろろろめ!! ろろろめ!!」
くばんだ餅をパクついた円の舌はとろとろになっていた。
「あまりおいしくないね」
ひと噛みした柳田先輩の感想は、大体いつもと同じだった。
円は、今こそ挽回だ、と思ったのかハッと眼をきらめかせて鞄の中からお茶を差し出した。
「わぁぁぁぁ、柳田せんぱいっ!! これを! どうぞぉっ!」
「だいぶ冷えてますわね」
「わぁぁぁぁ、すっ、すみませんっ」
「フフッ、なんだか、一杯目にぬるいお茶を出した故事みたい」
柳田先輩は円から差し出されたお茶のボトル缶をそう言いながらくるりと回すと、成分表示の欄をサッと見る。
「この餅のほうが――まだ適切さのあるマズさね」
「あっ、まどか」
帰り道、信号が青になるのを待っていると、後ろから来た章が声をかけた。
「ふぇぇ、あきちゃぁぁぁん」
「かっ、肩をつんつん突つくなっ」
章は信号の色の替わったのを見ながら足早に横断歩道を渡りはじめる。
「どぅしよぉ、また柳田先輩にびびっと言われちゃったよぉ……2回も」
章は「……ほんとうに2回ですんだのか……?」という印象しか持たなかったので、別段気にもしない態度で円のことばを耳にいれてそのまま流した。
「もう、今日は良くなかったよぉ、朝からあの自動販売機で、しっぱいしたしぃ」
「まどか、あのイモホリボンとかいう炭酸のとなりの、とんでもなくまずそうなお茶のボタン、盛大に、押してたものね」
「イモホリボンをしっかり買えてれば、良かったのにぃぃぃ」
「よくわかんないけど……、あんな変な薬草のお茶が揃ってるなんて、あの自動販売機は相当な変態としか思えないね、きもいよ」
「えっ、あきちゃん、そんなことないよぉ、素晴らしいイモホリボン搭載のマシンだよぉ、かわいそうだよぉ」
円に味方して言ってやったのに、こういう返しが来るとは思わなかった章であったが、とりあえず、あの里芋の砂糖水(どんな味なのかさっぱりわかんないが)を飲まされずにすんで良かったと、少しホッとした表情をした。
しかし、きょう妖怪研究会で起こったことを円から聞き流しながら歩いていくうちに、また表情がホッとしたものではなくなっていったのだった。
「柳田先輩、渡したお茶のんでくれなかったんだよぉ、さみしいよねぇぇぇ」
「まどか……、あの薬草の入ってるお茶、つかってるのは茶葉の頭柳(あたまやなぎ)使用って書いてあったじゃん……それだよ」
(2014.01.19 氷厘亭氷泉)