えんすけっ! ナポリタンニョキニョキ

「まどか、きもいよ」
 口井章(くちい あき)のその日の第一声は今野円(こんの まどか)への罵倒だった。円の奇行に対して章が罵る事自体は何も珍しくは無いが、まだいつもは行動や言動にきっかけがあるので半ばお約束のていである。
 ところが、その日は玄関から出てくるなり、「ハァ、ニョキニョキぃ。ハァ、ニョキニョキぃ」と円はいきなり理解不能な言葉を唱え始めた。
「なんだよ、それ」
 章の視線はとても冷たく、隣にいた牧田スガ(まきた すが)はその日に食べていた中華まんが夏の暑さの残る初秋にしては美味しく食べられたと後に語っている――全くそんな事は意識していなかったと思うが……。
「この本に載ってたんだよぉ」
 そんな視線を全く意識せずに円は鞄をガサゴソと漁って、章に本をドンっと渡した。
 それは本と言うにはあまりにも大きすぎた。大きく、分厚く、そして人すら殺せそうなまさに鈍器だった。
 想定していた重さより大分重かったので章の腕が下がって本を落としそうになった。「おっと」と両手で持ち直して章は本を抱えた。
「急に渡すなよ。こんなの出てくると思わなかったから落としそうになったぞ」
「この本の388ぺいじに書いてありますぅ」
 円は全く話を聞かずに合掌した状態を頭の上まで挙げて、「ニョキニョキ」と言って歩き始めた。I-836が同じ動きをしながら着いて行く。
「ハァ、ニョキニョキぃ」
「ハァ ニョキニョキ」
「おっおい、この重い本渡したまま行くなよ」
 章は狼狽えた。横ではスガがもう一つ中華まんを取り出して食べようとしていた。
 読みながら歩ける質量でもないので、仕方なしに章は388頁を開いた。〔豊前昔話ニョキニョキの話〕と書かれたその話は見開き数ページの短い話だった。
 スガがまた中華まんを取り出そうとしていたので章は一瞬時間が止まっていたような感覚に陥ったが円とI-836のニョキニョキと言う声は遠くなっていた。


「そんな振付はどこにも書いてないぞ」
 変な振付でニョキニョキ言っている円に章は突っ込んだ。
「あきちゃんとスガリンでこれやろうよぉ」
「えっ!?」
 傍観していたスガの喉に中華まんが閊えた。暫くむせ返っていたが 呼吸を整えると
「メンバーに入ってるの?」
「えぇ〜あったり前だよぉ〜スガリンのことを見捨てたりしないよぉ」
「ミステマセン」
「いやいや、そう言う意味じゃなくてね」
「メンバーも丁度四人だよぉ」
「まどかちゃん、そう言う問題じゃなくね」
「私は最初からそんなのに賛同してないぞ」
 章も拒否したが全く円は聞く耳を持たない。
「スガリン好みのパートもあるんだよぉ」
 円は章が両手で抱えていた鈍器をむんずと片手で取り上げると本を開いた。ピッタリ388頁。
 その本をスガに渡すと章がしたのと全く同じ動作で本を抱えた。
「まほはひゃん、ほの本ふごく重ひよ」
 両手が塞がってしまったので、スガは手に持っていた中華まんを咥えながら話した。
(注:まどかちゃん、この本すごく重いよ)
「スガリン、そんなこと言ってたら立派な民俗学者になれないよぉ」
「ほんなのはるつほりないよー」
(注:そんなのなるつもりないよー)
 なんてやり取りがありながらも円の押しの強さに負けたスガは仕方なしにニョキニョキの話を読み進めてから少しして目が止まった。
「おぉーお蕎麦!」
 スガは中華まんを飲み込んで歓声をあげた。その反応を見て円はニィっと微笑んで変な振付を続けた。
「ニョキニョキやりたくなったでしょぉ」
「そのうす気味悪い振り付けはやだよー?」
 スガは厭そうな顔をした。
「じゃあお蕎麦じゃなくてパスタだったらぁ」
「パスタだったらなー」
 スガの悩む姿を見て章は「悩むのかよ」と突っ込んだ。



「パスタって言うかねぇ、ニョキニョキしたらぁ、ナポリタンが出てくるかもしれないよぉ」
 円はスガから重厚な本を取り上げると頭上に掲げた。
 スガの頭の中は食欲で一杯だ。おててのしわとしわが合わさりそうになっている。
「最後まで読んだ方が良いぞ」
 章はスガの腕を掴んで続きを読むように促した。スガは再び円から本を取り上げると続きを読み始めた。
「うわーパガーレ!」
 スガは悲痛な声をあげた。
「そう、ロハじゃない」
 章は頷いた。
「えぇ〜二人のニョキニョキに対する情熱はそんなもんだったのぉ! ほろりぃ」
「最初からそんなものない!」
 スガと章の声が重なった。
「じゃあこれでもぉ?」
 円がそう言うとI-836がスガと章にお皿を渡した。
「おおー」とスガが歓声を再び上げた。
 皿の上には美味しそうなナポリタンが乗っかっていた。スガは大喜びでパスタを啜った。
「ゥンまああーいっ!」
 歓喜の声をスガがあげている。章はどこからこのナポリタンがでてきたのかを若干疑問に感じつつもスガがあまりにも絶賛するので章も一口啜った。
「おっこれはなかなか乙な味だな」
 章の口角が少し上がった。
「じゃあ〜二人ともニョキニョキやってくれるよねぇ」
 二人に押し迫ろうとする円の前にI-836が立ち塞がった。掌を円の前に差し出して

「Vorrei pagare il conto, per favore.」

 と言った。流暢なイタリア語だった。


「えぇ〜お金取るのぉ〜?」
 掌を円に向けたまま、無言でI-836は頷いた。
「お金ないよぉ〜この本、凄く高かったんだよぉ〜」
 I-836は無言で首を振った。
 牧田スガはナポリタンを平らげると「まどかちゃん、パガーレは任せるね」と言って円の肩にポンと手をおいた。
「そんなぁ〜」
 円は財布の中身を見て泣きそうな顔になった。



(2014.10.06 式水下流)