夜走清(よばしり まこと)には尊敬している人が二人いる。
一人は悟徳学園高等部三年・妖怪研究会会長、柳田先輩である。
高級官僚の娘にして容姿端麗、頭脳明晰、絵に描いたようなお嬢様。
そんな柳田先輩が何を踏み間違えたのか妖怪などを研究している。なんであんなに綺麗なお人形のような柳田先輩が妖怪のような如何わしいものを嗜好するのかが理解できなかった。――そんなことを考えながらも、清もその如何わしいモノを嗜好するようになった一人であるのだが。
もう一人は悟徳学園高等部二年――清と同じ年――妖怪研究会同人の早川孝子(はやかわ たかこ)だ。
孝子と清の出会いは一年前に遡る。
清は高校進学の際に両親の稼業の都合で秋田から千葉に引っ越してきた。
元々学業は優秀だった清は県下でも一、二を争う程の悟徳学園もそれ程苦労なく合格できた。秋田の友達と別れるのは寂しかったが新生活の楽しみも強かった。人と話をするのが好きだった清は文化系の部活に入って色々な人と交流を持って楽しい学園生活を満喫しようと息巻いていた。
そんな期待は入学式に脆くも崩れ去ったのだが。
とにかく、何を言っているのか分からない。逆に話をしても通じない、通じたとしても訛りを笑われたりした。
清は酷く傷ついて、水泳部に入った。
水の中では人と喋る必要はない。
何より泳ぐのは好きで好きで堪らないけど部活でということは考えていなかった。
ある日、プールサイドでくるくるの髪を揺らした女生徒に声をかけられた。
「夜走さんというのは、貴方かしら?」
話しかけてきたのは件の柳田先輩だった。清の書いた日記を読んで妖怪研究会にスカウトしに来たと言う。
からかわれていると思ったが何度も柳田先輩が直々に誘いにくるので、冬場になり夏程水泳部の活動も忙しくなかったのもあり、「一度だけ」と思って妖怪研究会の部室に行った時に、早川孝子は居た。
孝子は、清と目が合うとニカと笑って手に持った餅のようなものが刺さった串を差し出した。
「花祭行ってきただに。五平餅食べりん」
もうあれから一年も経つんだと清はしみじみした。
孝子は清と同じく高校進学の際に千葉に引っ越してきた。
今でこそ標準語混じりの三河弁だが本人は故郷愛知を愛して止まないので、ちょっと日和った感じがして好きじゃない、なんて言っているが、それでも清にはカッコ良く見えた。
清にも郷土愛は勿論あるけど、この恥ずかしいと思う気持ちが凄く厭だ。かと言って笑われたり、からかわれたりするのも怖い。
なんて話を暫くしてから、孝子は会ったばかりの時と同じく、ニカっと笑って「秋田弁もえらい可愛いだに。喋りん」と言った。
標準語を意識してしまうのは相変わらずだが随分気が楽になった。理想とは少し違う形になった。
だが、孝子がいてくれたおかげで今が一番楽しく過ごせている。そういう意味も含めて感謝と尊敬をしているのだ。
だからこの日だけは感謝を伝えたいと考えていた。
今野円(こんの まどか)が考えていたことは、週末買った妖怪の名前が入ったサイダーを出すタイミングを図っていたぐらいだ。
毎日が大体そのぐらいに過ぎていく。
そういう何気のない日常が円には楽しくて仕方ない。
妖怪のことを調べに行ったり、皆で旅行に行ったりするのも大好きだけど。
「まどかちゃん、おはよう」
訛りが入った少し小さい声で清は挨拶した。
「おかん先輩、おはようございますぅ」
円は清をおかん先輩と呼んでいる。
おかんと言っても母親のことではない。清が漢文が得意で漢籍を読む時に色々と教えて貰ったことから、円なりの敬意の呼称である。周囲からは失礼じゃないかと非難されたりしたが、清本人は割と気に入っている。
「あのな、相談があるんだども」
あっ、て顔をして清は「相談があるんだけど」と言い直したのが初々しく可愛らしい。
「はぁい、なんですかぁ」
清は円に耳打ちした。円は話を聞くとパァとした顔をした。
「わぁ孝子先輩も喜びますよぉ」
円も楽しいことは大好きなので喜んだ。
「放課後よろしぐな」と言うと清は手を振って校舎に入った。
円は、はぁぃと言うと清が見えなくなるまで大きく手を振った。
「これ一人で作ったんですかぁ」
円は驚いた。
「一週間前から作ってた」
普段の清の話し口はぶっきらぼうにすら聞こえるが、実は訛りや方言が出ないように言葉を短く切って話す癖がついてしまったからだ。
「えぇ、言ってくれたら作るのもお手伝いしたのにぃ。水臭いなぁ」
「そうですわよ」と柳田先輩が割って入った。
清は「はわわ、すみません」と小さい声で言った。
「怒っている訳では無くってよ」と柳田先輩はにっこりした。
清が作った飾りを部室の壁に貼り付ける柳田先輩がつけている姿は優雅だった。
「でも清から声かけてくるのって珍しいな」
折口忍(おりくち しのぶ)は掌サイズのおすいこ様を飾りつけの中央に配置している。
「忍さん、もう少し右の方が、おすいこ様の表情が映えますよ」
鎌倉音東(かまくら おとひ)は清が作った飾りの配置をきっちりと考えていた。忍がおすいこ様を飾りつけることまで想定していたことが恐ろしい。
忍はあくまで中央にこだわったが、音東に言われた位置に試しに両手に持ちながら確認すると、なんだかしっくりきたらしくニヤニヤしていた。音東はちょっとしたずれも見逃さずに、気づかれないように直していたので余計に働いていた。
そんな中でI-836は、音東のきっちりした指示に寸分の狂いもなく飾りつけていたので、そこだけは音東も安心していた。
「あれぇそう言えばスガリンはぁ?」
「スガさんには孝子さんのことを見張って貰ってます」音東は即答する。
「みんな、ありがとう」
清は感極まって涙がこぼれそうになったが堪えた。
「おかん先輩、なにいってるんですかぁ。皆好きでやってるんですよぉ」と円が言うと間髪を入れずに
「えんすけっお前が言うな」と柳田先輩が真顔で言ったのが本気で怖くて可笑しかった。
「ひゃい」と顔を真っ青にさせている円を見て皆どっと笑った。
牧田スガは孝子を見かけると「先輩昨日はありがとうこざいました」と声をかけた。
「あっスガちゃん。こちらこそありがとうな。あっこの中華まんうまかった」
「本当はナポリタンの美味しい純喫茶もあったんですけど」
「パスタはあんかけだら」
「そう言うと思いました」と言ってスガは微笑んで「これから研究会ですか」と続けた。
「一緒に行きん」
妖怪研究会の部室に孝子が入ると、パァンと言う破裂音が鳴り響いた。
孝子はびくっと肩を強張らせて驚いた。
その瞬間「お誕生日おめでとう」と言う声が聞こえたので更に驚いた。部室を見回すと綺麗に飾りつけられていた。
「なーにー」と孝子は照れ臭そうに言うと「花祭行ってきただに。五平餅食べりん」と皆に五平餅を取り出して渡した。
一年前と何も変わらない。
いや少し変わったのは清たちは進級して後輩もできて賑やかになったこと、それから皆と仲良くなれたことかな。
「皆ありがとう」
孝子は照れ臭さが抜けていない。
清は小さい声で「こちらこそありがとう」と言った。
(2013.12.20 式水下流)