えんすけっ!外伝〜吉川観保の憂鬱〜

「いやあ! 早川先輩! 今日はホントに面白い話聞かせていただいてありがとうございますっ!」
 夕日に染められた廊下を歩きながら藤澤桃里(ふじさわ ももり)は腕をブンブン振り回しながら上機嫌でかたわらに歩く早川孝子(はやかわ たかこ)にお礼を言った。
「そう? ならよかった」
 興奮している桃里とは対照的に極めて落ち着いた様子で早川孝子はニッコリと微笑んだ。
 さて、それにしても藤澤桃里と早川孝子という世にも珍しいツーショットで何故に帰宅することになったのか? 話は数時間前に遡る。


 悟徳学園漫画研究会一の売れっ子作家である桃里は新作のアイデアに行き詰っていた。そこで何かネタになる話でも聞けないかと考え、今日、妖怪研究会に顔を出した。クラスメイトである今野円(こんの まどか)でもいればと思ったのである。
 ところが妖怪研究会の部室には円どころか誰もいなかった。ただ唯一、広い部室の隅っこで早川孝子がせっせと絵を描いていた。
「先輩、皆さんどこいったんすか?」
 と桃里が孝子に声をかけると少し驚いた表情で孝子は顔をあげると
「ああ、桃里ちゃん。みんな調査に行ったわよ。なんでも円ちゃんが隣町で珍しい妖怪の話を聞いたとかで」
「ええ! そうなんすか! マドちんそんなこと一言も言ってなかったのになあ……。そんな話があるんなら教えてくれればいいのに……」
 とブツブツと桃里はそこにいない円に対して文句をたれようとしたが、ふと孝子の手元の絵が目に入り
「わあ! 孝子先輩上手い!コレなんすか?」
「コレ? これはショイタ。薪とか炭とかを背負って運ぶための背負板ね」
「ああ、二宮金次郎が背負ってるヤツっすか」
「そうそう、今度出す会誌の挿絵を描いてるの。地元にいた時に聞いた伝承をまとめようと思って」
「へえ。孝子先輩の地元ってどこっすか?」
「愛知。愛知の三河」
 そんなところから話が始まり、孝子は愛知の妖怪についてあれやこれやと桃里に語った。その話が桃里にとってどの話も面白く、桃里はいたく興奮したのである。
 そんなこんなで話が盛り上がっているうちにいつのまにか帰宅時間となり、二人は一緒に帰ることになったのである。

「いやあ、愛知に磯天狗なんて妖怪がいたんすね! 海に住んでる天狗なんて燃えるっす! きっと半魚人の修験者みたいなカッコしてるっすよ! カッコイイっすねえ!」
「いや……、そういう格好をしてるかは……」
 と孝子は少し困ったような顔をした。
 「磯天狗」というのは、愛知と三重に伝承が伝わっている妖怪で(伝承によって差異はあるものの)概ね海に現れる怪火現象なのである。
 その怪火を起こすモノとして「磯天狗」の名が伝わっているわけであるが、その「磯天狗」そのもののビジュアルについて書かれた文献はない。
 孝子はそのことを十分説明したつもりでいたのだが、桃里の脳内では「磯天狗」という名前からしっかりとビジュアルができあがってしまったようだ。
「手下はきっとトビウオっすよ! 『行け!ものども!』 シュババババー! って! いやあ、カッコイイっす!」
 ビジュアルどころか桃里の脳内では磯天狗の詳細な設定まで出来上がってしまったようだ。
 孝子はフーッと軽くため息をついたが
「……まあ、いいか。漫画のキャラクターとしての話なんだし」
と思いなおし、前を向くと
「見つけたわよー! 早川孝子!」
 とツインテールの女の子が腕を組んで前方に仁王立ちしていた。
「わわ! 吉川先輩!!」
 孝子は尋常じゃないほど慌てた。
 ツインテールの女の子の名は吉川観保(よしかわ みほ)。3年生、美術部部長。
 実は孝子は当初、美術部に入部していた。しかし日本画(妖怪画を含む)について研究熱心な観保に連れられて妖怪研究会に顔を出しているうちに、興味が「美術」よりも「妖怪」そのものに移ってしまい、美術部を辞め、妖怪研究会に入った。
 それ以来、孝子は観保に顔を合わせづらくなってしまい、できうる限り顔を合わせないようにしてきたのだ。
「孝子! あんた、私を避けてるんでしょ! ちゃんと知ってるんだからね!」
「いや……そんなこと……そんなことないに」
 孝子は動揺のあまり三河弁に戻ってしまっている。
「あら、そう。じゃ!」
 と言うと観保は孝子のガシッ!と腕をつかみ
「美術部に戻って! いいわね!」
 と言ってグイグイと孝子の腕をひっぱった。
「ほーい、吉川先輩! それは……! 私はもう妖怪研究会に入っとるで……」
「問答無用!」
 比較的小柄な観保にどうしてこんな力があるのかと思うほどの強い力で孝子を引っ張って強引に連れて行こうとする。
 孝子は半ベソをかきながら「いやだ!」「勘弁しとくりょう!」と必死に抵抗していた。
 突然の修羅場にどうしていいかわからなかった桃里だったが
「ちょ、ちょっと吉川先輩! 乱暴なことは止めてほしいっす! なんで、今更、そんなことするんすかっ!」
 とやっとのことで叫んだ。すると観保は
「なんでですって? こっちだって……こっちだって切羽詰まってるのよ!」
 なにやら観保のただならぬ雰囲気を感じた孝子は
「ほーい、吉川先輩……一体、何があっただかねぇ?」
 と観保に問うと
「美術部が……美術部がピンチなのよ……」
 と静かに呟いた。


「吉川さん、今日ここに来てもらった理由ってわかるかしら?」
 生徒会室。悟徳学園生徒会長、井上真理(いのうえ まり)は静かに吉川観保にそう切りだした。
「え……、あ……、わ、わかりません」
 観保は芸術家にありがちな情熱家で、普段は誰であろうと臆さずモノを言うタイプなのだが、どうにも、この井上真理という人物だけは苦手だ。
 井上真理はいつでも冷静沈着で、その上物事は全て系統立てて考え、正論しか言わない。こちらがどんなに情熱をもって語ったところで、理屈に合わなければ切り捨てる。きっと、冗談も通じないのだろう……というのが観保の考える井上真理像である。とても自分と相性がいいは思えなかった。
「そう。実は美術部のことなんだけど……気の毒だけど廃部にしたいと思っているの。」
「なっ! ……ど、どうして!?」
「理由?ホントにわからない? それは察しがつくと思うけど?」
「……」
 そう、それはさすがに観保にも察しがついた。というのも悟徳学園の美術部に今現在、在籍している部員は部長である観保、ただ一人なのである。
 というのも、みんな観保の芸術に対する情熱……というより日本画研究に対する情熱についていけずに、みんな辞めてしまったのだ。
「……私しかいないからですか?」
「そう。吉川さん、申し訳ないけど、部員が一人しかいない部にこれ以上予算を割く余裕は学園としてもないのよ。」
「そんな……」
 長い沈黙。観保はどうしていいかわからなかった。代々先輩達が築いてくれた歴史ある悟徳学園美術部を私の代で潰してしまうなんて。一体どう責任を取ればいいのか……。
 しかし、真理は意外な言葉を口にした。
「でもね、吉川さん。私も本当は美術部を廃部にしたくないのよ」
「え?」
「悟徳学園美術部といえば今をときめく画家の河鍋暁美先輩や月岡芳恵先輩を輩出した名門でしょ」
「そ! そうです!」
 観保は自慢気に胸をはろうとした。が。
「かつてはね」
 という真理の冷たい言葉に再び意気消沈。
「ただね、吉川さん。私もできうることならまた美術部にかつての名門としての活気ある姿を取り戻してほしいと思ってるの。それに吉川さん、それは貴方ならできるはずだとも思ってるわ」
 と今度は優しい言葉。
 ここにきて観保は井上真理という人物がよくわからなくなってきた。自分のことをアゲたりサゲたり。どういうことだ? 二重人格なのか? ビリー・ミリガンなのか? それともこれが噂のツンデレっていう奴なのか?
 観保が軽く混乱していると、そんなことはお構いなしに
「一つ条件をだします!」
 と高らかに真理は宣言した。
「三日間猶予をあげます。その間に一人でも部員が入れば部を存続させてあげます!ただし、もし一人も入らないようならば……」
「は、入らないようならば……」
「もちろん廃部決定です!」
 こうして吉川観保は窮地に追い込まれたのだった。


「それが三日前の話、そして今日がそのリミットなのよ!!」
 観保はトレードマークのツインテールがオーラで宙に持ちあがるんじゃないかというくらいの迫力で孝子に迫り
「さっ! わかったら、この入部届けに名前を書いて!」
 と入部届けの用紙を孝子の眼前に突き出した。
 孝子は一瞬、躊躇した表情を見せたが
「や……やっぱりイヤだで! そりゃ、美術部が無くなるは残念だで、吉川先輩には悪いと思うけんどものん、自分の気持ちに嘘はつけんで! いま自分がやりたいのは柳田先輩のとこで、妖怪を調べることだもんで!!」
 と叫ぶように言い返した。
 かたわらで固唾を飲んで事の成り行きを見守っていた桃里は今までの観保の様子から、この後どのような怒声が孝子に浴びせられるのかと緊張しながら観保の様子を窺ったが、その反応は桃里の予想を大きく裏切った。
「わーーーーーーーん!!」
 大号泣である。
「何よ、何よ! みんなして! 私はただ河鍋先輩や月岡先輩が築いてくれた美術部を守ろうとして頑張ってるのに、みんな私の元を離れて勝手に好きなことして! 私は……私は……どうすればいいのよ!!」
観保はより一層の大号泣。孝子と桃里は日頃、強気に見える観保の泣き崩れる姿を見てどうしていいかわからず オロオロするしかなかった。しかし、その時
「なあに? 観保。また、お年玉は使いすぎてお母さんに怒られたのー?」
 と、のんきな声が孝子と桃里の背後からした。漫画研究会会長、花園江真(はなぞの えま)である。
「え! 江真!」
「あのねえ、孝子ちゃん、桃里。この子ったらねえ、お正月に貰ったお年玉でお化けの描いてある浮世絵を古本屋で買いあさちゃって、その日の内に使い果たしちゃったの。で、お母さんにすんごく怒られて泣いちゃったのよう」
「小学生の頃の話だろ! そんな話、今蒸し返すな!」
 と観保は顔を真っ赤にしながら叫んだ。
 吉川観保と花園江真は幼稚園からの幼なじみである。しかし、お互い絵が得意で、なおかつ二人とも古くからの日本の文化に興味があるということで何かと競い合ってきた。今では観保は「絵画」、江真は「漫画」とその道は微妙に違ってきているものの何かと張り合う仲は変わらない。つまりライバルなのである。
「なによ江真! 私をからかいに来たの? だったら後にして! 私は今、それどころじゃないの!」
「なによう、せっかくあなたが喜ぶんじゃないかと思って連れてきてあげたのにー」
 そういうと江真の背後からひょっこり女の子が顔を出した。どうやら一年生のようだ。
「美術部に入りたいんだってさあ、この子。でも、肝心の部長のあなたがいないもんだからどうしていいかわからず美術室の前をウロウロしてたのよ。だから私が一緒に探してあげてたのに」
 その言葉を聞いた観保は表情を一変させ
「美術部に入りたいの? ホントに?」
 とその女の子の手をガシッと取って言い寄った。女の子はその迫力に幾分ビビりながらも
「……はい。よ、よろしくお願いします」
 と入部希望の言葉。それを聞いた観保は歓喜の表情で
「やったー! ありがとう!ありがとう! 美術部バンザーイ!!」
 とあたりを飛び回る勢いで喜びを爆発させていた。
 喜ぶだろうとは思っていたが、これほどまでとは思ってなかった江真は幾分あっけにとられて
「ねえ、観保、何かあったの?」
 と桃里に聞いた。
「ええ……、ま、いろいろあったんすよ。観保先輩は」
 と思わず桃里は苦笑いを浮かべた。
 その一方で孝子は少し、複雑な思いにかられていた。
 確かに美術は今私がやりたい一番のことではない。だから観保先輩に勧誘されても正直迷惑だ。ただ、孝子はちょっとだけ観保が自分のことを必要だと思っているからこそ引き戻そうとしてくるのではないかと思っていた。 しかし、どうもそうではない。
 観保は部を存続させるためだけの単なる人数合わせとして私のことを引き戻そうとしてたんだ。孝子はそう思った。
 それが…ちょっと悲しかった。
 女の子を連れて美術室に急ぐ観保の背中を見ながら、そんなことを孝子は考えていると、突然、観保は振り返り
「あ! 孝子! 私はあなたのこと、まだあきらめてないからね! あなたには私の後をひきついで美術部の部長やってもらうからね!」
 といってニカーっと笑った。
 孝子はその言葉を聞き、パッと表情を変え
「ありがっさまね! ……でも、わたし、絶対美術部には絶対入らんでのーん!」
 と笑顔で答えた。


 こうして美術部は存続を許され、予算も無事おりた。名門、悟徳学園美術部は存亡の危機を脱することができたのである。
 ところがその一ヶ月後、新入部員はやはり観保について行けず美術部を辞めてしまい、結局また再び観保たった一人の美術部となってしまった。
 吉川観保の憂鬱はまだまだ続くようである。


(2014.01.16 しげおか秀満 三河弁監修/ロブ・ゾンビちゃん)