えんすけっ!外伝
〜好奇心は別に猫を殺したりはしませんが、そういうことです〜

「お、わったぁ!」
 最後の甲冑にトーンを貼り終えて、花園江真はぐぐっと伸びをした。
「江真さんお疲れ様っす」
 ネタ探しに『妖術者の群』を読んでいた藤澤桃里は、顔を上げて労う。
「今度は自信あるんだけど、どうかなぁ」
 江真はおっとりとした口調で言いながら、桃里に原稿を差し出す。
「拝見するっす」
 桃里はそれを受け取ると、汚さないように注意しながら読み始める。
 しかしすぐに
「江真さん」
と困ったような顔をして作者を呼んだ。
「なぁに?」
「だからこれはマズイっていつも言われてるじゃないっすか」
 これ、と言って、桃里はある一コマを指差した。
「『ねね』って初めて呼びかける所で、何で枠外に、『「寧」「寧子」「子為」の可能性も指摘されているが、一般的には「ねね」である。なお、「ねね」は『太閤記』などによる誤記であるという説もあるが、角田文衛氏によれば「ねね」は鎌倉時代以降に見られるようになる女性名であり、「ねね」が自然であるとする。』とか書いてるんすか。台詞より明らかに多いじゃないすか」
「だって気になっちゃったのよぅ」
「あとこっちのモブにも、『襷(たすき)は本来神事のために使用され、特に穢れを祓う意味があったとされている。材料は様々で、植物を使用することも多かった。玉襷という言葉は今日では襷の美称であるが、元は勾玉などを通して使う襷を指した。田植え神事で襷を掛けるのも穢れを祓うためとされ、今日では住吉神社の田舞などにその名残を見ることができる。襷が庶民の日用品になった年代は定かではないが、『信貴山縁起絵巻』に既に労働者が襷を掛けている姿が描かれている。また、襷の存在が確認できる最古の例は、群馬県から出土した巫女の埴輪であり、文献上では『古事記』神代に「手次」という名で登場する。因みに』ってこの後、字が潰れて見えないんすけど、何て続くんすか?」
「手拭の注釈も付けようと思ったんだけどぉ、スペースがなくなっちゃってねぇ」
「襷だけでこんなにあるのに手拭って、どれだけ書くつもりっすか!」
「手拭はそんなに書かないよぅ、神事の時に神に顔を見せないための道具だった話とか、何故猫又は赤い手拭を被るのかとか、それだけ」
「いや話の本筋に全然関係ねえっす」
 見れば、全ページに渡ってそんな調子である。
 甲冑の歴史だの貴族の生活と下級武士の生活だの、歴史の教科書以上に細かく書かれている。
 しかし、本筋は戦国時代を舞台にした恋愛巨編なのに、注釈ばかり気になってしまって全く感情移入できない。
「つか、まさかこれを学園祭用の会報誌に載せる気っすか?」
「うん、そのつもりよぉ」
「無理っすよ、印刷所の人に怒られるっす。字が潰れるって」
「そうかなぁ」
「あと、柳田先輩に『花園江真さんは相変わらず漫画風歴史考証辞典を作ってらっしゃるのね』とか言われるっすよ」
 桃里が柳田先輩の物真似しながら原稿を返すと、江真はむうっと唇を尖らせた。
「駄目かなぁ」
「枠外だけなら面白いっすけどね。注釈全部消してみたらどうっすか?」
「……ちょっと考えるねぇ」
 考える、と言いながらも甲冑の躍動感がねぇ、とかぶつぶつ言っている辺り、駄目そうである。
「それじゃ、私そろそろ帰るねぇ」
「はい、鍵閉めとくっす」
「お願いねぇ」
 江真は原稿をファイルに仕舞うと、それを鞄に入れる。
 そしてバイクグローブを装着し、また明日、と手を振って漫画研究会の活動場所である家庭科室を後にした。
 家庭科室のすぐ裏が駐輪場なので、数分もしないうちにエンジンの音が聞こえて来て、それが遠ざかるのが分かった。
 どうやら今日は他の会員も来ないようで、桃里も自分の荷物を片付け始める。
 今日は木曜日。週に一度の英語塾の時間が迫っていた。

 次の日から江真は漫画研究会に顔を出さなくなり、一方の桃里はそろそろネームを始めようかな、と思い始めた頃。
 桃里は家庭科室でとんでもないものを見てしまい、家庭科室に入れなくなった。
「……ねぇ、だからって何でこっちに来るの?」
 そう面倒臭そうに言うのは、科学部副部長寺田とらである。
 そして桃里がいるのは、理科実験室であった。
「だってとらりんしか頼れねぇんすよ!」
「金平糖あげるから帰れ」
「嫌っす!」
 桃里はちゃっかり金平糖を貰いながらも、寺田とらの腕にぎゅうっと抱きついた。
 ちなみにぎゅうっと抱きついたからと言って、とらの腕に当たるものは特にない。しかし逆にとらが抱きついたら当たるものはあるという悲しい現実を桃里は知らない。
 同じ漫画研究会の江真でさえ気づいていないが、桃里ととらは、実は面識があった。
 それというのも、同じ英語塾に通っている縁で、塾では必ず顔を合わせるからだ。
 しかし学内では学年もクラスも部も交友関係も重ならないため、二人が知り合いで、互いに変な渾名を持っていると知る者は殆どいない。
 ただ、桃里が妖怪研究会に足繁く通うのと、とらが部長の南方楠美に引っ張られて極々稀に顔を出す時があり、その時に運よく会う程度の顔見知りだと思われているのが関の山だろう。
「ところで今は何の実験中なんすか?」
「金平糖の棘を効率よく作るのに最適な温度、スピード、材料の量を測ってる」
「また下らな……」
 言いかけて、とらにギロリンと睨まれた桃里は慌てて口をつぐんだ。
 桃里は知らないが、とらは最近、自分の実験テーマが下らないと言われて以来、下らないという言葉に敏感になっていた。
「あ、そうっす、部長さん達は?」
「部長は粘菌の繁殖具合を観察するからって生物室。他の子は、雪ちゃんの手伝い。人工雪を作るんだって張り切ってたよ」
 そうこうしているうちにまた金平糖が出来上がり、とらはその過程をレポート用紙に纏めていた。
 その隙に桃里は金平糖をひょいひょいと食べた。
「あっ! 金平糖泥棒!」
「良いじゃないっすか、ちょっとくらい!」
「良くない!」
「だってお菓子も全部家庭科室なんす!」
 とらは暫く嫌そうな顔をしていたが、やがて金平糖作成機の電源を切った。
「とりあえず話してみて」
「やったぁ!」
「まだ引き受けたとは言ってないよ!」
 一応念を押しながらも、とらは話すように促す。
 桃里の話を簡単に纏めると。
 家庭科室の中で、甲冑武者、遊女、幽霊、虚無僧などを見てしまい、家庭科室に行けなくなったということだった。
「……それ、花園江真さんじゃないの?」
 江真のコスプレ好きは、学園中に知れ渡っている。
 最近では狩衣を着て登校し、授業前に職員室に呼び出されていた。
「私もそう思ったんす。だからこの間、幽霊に江真さんっすか? って呼びかけたんす。でも幽霊は逆立ちしたまま階段の方に逃げて行って、追いかけたら何て言うんすかね、ブリッジ? したまま降りて行って……」
「エクソシストか!」
「リアルで見ると本当に不気味っすね」
「……で?」
「あ、はい、階段の下で消えたんす」
「それは私じゃなくて、妖怪研究会向きじゃない?」
「いや、私も含めて妖怪研究会は、研究するのは好きっすが、現実で出会ったら勝てないっす」
「じゃあ生徒会長とか」
「生徒会長は怖いから嫌っす」
「わがままだねもりりんは!」
「何でもいいから頼むっす! このままじゃ学園祭で会報誌が出せないっす」
 基本的に面倒見の良いとらは、あぁうぅと唸った後、
「とりあえず、家庭科室に行ってみよう」
と言って白衣を脱いだのだった。

 所は変わって家庭科室。
 とらと桃里は、やはり江真の仕業ではないかと疑ってあちこち引っ掻き回したが、その痕跡は特になかった。
「や、やっぱりお化けっすよ! 間違いないっす!」
「待ってよもりりん、この学校に武者だの遊女だの虚無僧だのの幽霊が出るんだったら、とっくに妖怪研究会が調べてるはずでしょ? 幽霊が急にどこかから引っ越してくるはずもないし」
「座敷童は引っ越しするっすよ! きっと引っ越し幽霊も……」
「はいはい新種を作らない」
 とらは桃里を適当にあしらうと、スポーツバックからカメラのような物を取り出した。
「何すかそれ?」
「赤外線サーモグラフィ、のご家庭用版。雪ちゃんと作ったの」
「いつもそういうことしてたら賞とか沢山取れるんじゃないっすかね?」
「だってこんなの面白くないし。一回作ったら飽きちゃった」
「……えっと、それで何をするんすか?」
「お化けとか幽霊がいるんだったら、そこの温度が変わって探知できないかなって思って」
「おお、頭良いっす!」
 とらはサーモグラフィで辺りをぐるりんと撮影したが、特に変わった様子はない。
「別にいないね」
「いないっすか?」
「いな……うん?」
 出入り口付近に赤く染まる部分を見つけ、とらは顔を上げる。
 と、どたばたどたばたと足音が聞こえた。
「ま、待つっすお化け!」
 桃里が家庭科室の扉をばびゃんっと開ける。
 二人が見たのは、一本下駄の山伏(フル装備)が本気で走って逃げるところだった。
「一本下駄のくせに速い!」
「もりりん伏せて!」
 桃里が言われた通りにすると、とらは振りかぶって何かを投げた。
 小さな望遠鏡のような形のそれは山伏の横を通り抜け、壁にぶつかり、カラフルな物を撒き散らしながら四散した。
 驚いた拍子に山伏が転倒し、桃里が押さえつける。
「さぁ、捕まえたっすよ! ……あれ?」
「ほら、やっぱり」
「江真さん、っすね」
 捕まった山伏は、コスプレマニア花園江真であった。
「江真さん何してるんすか?」
「別に大したことじゃないのよぅ。いつも通りに、考証をねぇ」
「でも、こないだ、あと今も、声かけたら逃げたっすよね? しかも消えたっすよね?」
「だってぇ、枠外に注釈書き過ぎって言われたばっかりなのに怒られるかなって思ってぇ。あと、私消えてないわよぉ?」
「へ?」
「西階段の下が道具入れになってるでしょぉ? あそこの鍵がずっと開けっ放しになってたから、そこで着替えたり衣装を仕舞ったりしてたのぉ」
「な、なぁんだ……」
「鍵が開けっ放しなんて、うちの学校も不用心だね」
「それにしても江真さん、武者に遊女に幽霊に虚無僧に山伏って、どんな話描くつもりっすか」
 けらけら笑いながら尋ねた桃里に、江真はうん? と首を傾げる。
「そんなにしてないわよぉ?」
「はい?」
「虚無僧はまだしてないわねぇ。虚無僧グッズは自宅だしぃ」
「……ええっ?」
「本当に?」
「だってかさばるから平日は無理よぉ」
「……うわぁんとらりぃん!」
「私はもう知らないよ!」

(2013.01.07 清見ヶ原遊市)