えんすけっ! 能率の山羊

 牧田スガ(まきた すが)と口井章(くちい あき)は、除菌用のアルコールティッシュの小さいパックを間に挟んで、ひとつの机に向かい合ってる。
 昼休みの教室内はざわざわといろいろなしゃべり声が飛び交ってるが、スガと章の向かっている机のあたりの空間は、神さびた深山の修行場のような森閑さがただよってる。
 右手を出すスガ。
 その動きに眼を動かす章。
 一挙一動に空気がしなるような緊張感が走る。
「……こうっ!!」
 スガがアルコールティッシュのパックのとり口に指をさしいれて気合の入った小声を漏らす。
 またしばらくのあいだ、森閑さがただよう。
「――どう? スガリン」
 章が静かにたずねると、スガは視線を下に落としたまま首を右と左とに揺り動かした。
「だめか……っ、よしっ!!」
 章はスッとイスから立ち上がると、そのまま教室の後ろのほうへと歩みを進めた。
「I-836、あんたに頼む」
 章は、教室の後ろのほうで、ちょこん、と立ってたI-836の真ん前まで進み、そう言った。
「ハイ?」
「来て、来て」
「ナニ ヲ シテルンデスカ」
「いいから、いいから、ほんのちょっと、ちょっと」
 I-836の手をひいて、また机に戻って来る。
 すると、スガはさっきのアルコールティッシュのパック(50枚入り)を両手で持ち、サッとI-836の前に差し出す。
「ハイ?」
「はっちゃん、お願いっ、どうしても取れないのっ」
 アルコールティッシュのパックのとり口からは、次にシュッと引っぱり出せるべきウエットティッシュの姿は数微量も見えず、ただとり口だけがドホンと空いてる。
「スガリンは取り出し方へたくそ過ぎるんだよ、今週何回目だよ」
「……あきちゃん、これは、時の運なんだよ、あたしのせいではないのだよ」
「いや、引きだし方が悪いんだと思う」
「そんなことないって、……ということで、はっちゃん、なんとか出来ない?」
「ヤブッテ アケルンデスカ」
「ひ、違うよ、ここから……ほら、こう、ね? 普通に出せるように、ね? こう」
 スガがティッシュを引っぱる動作を示すと、I-836はパックを受け取ったかと思う間もなく微動振動を使って高速でその行動を処理し、パックをスガに向かって差し出した。
「おおっ」
「わあ、すごい早技!!」
「ヨロシイデスカ」
 章とスガが感心してると、I-836は再び教室の後ろのほうに歩いて戻り、掃除用具入れの近くに、ちょこん、とまた立ち直った。
「さすが、役に立つねぇ、春も早々から呼び出しをくらったどっかのだれかちゃんと違って」



「くじゅんっ!!」
 てすりをべたべたいじくりながら階段を下りてた今野円(こんの まどか)は、水っぽいくしゃみをした。
「うわぁぁ、すぐにクスケーって言わないとだめだね、ふふふっ。くすけーぇぇふにゃ……くじゅんっ!!」
 くしゃみをしたときに命が縮まないよう唱える俗信をとなえだすが、なんだかスペイン語か何かに聴こえる変なイントネーションで唱えてる円。
「あんた、何してるの」
「えっ」
 不意に背後から声をかけられて驚いた円だったが、振り向いてみて、そこに立ってるのが部活(妖怪研究会)の先輩でもある折口忍(おりぐち しのぶ)だったので、また出そうになってたくしゃみの残弾もヒュッと消えてしまった。
「せんぱいぃぃぃぃっ、サドンリーな不意打ちはいけませんよぉぉぉぉ、まどか、魂うしなっちゃいますよぉぉぉぉ」
「じゃあ、くすけぇって言っときな」
「さっき唱えてましたけどぉ!!」
「あ、そうだったの? いんか帝国あたりのぴらみっど造り人足の掛け声かと思った」
「先輩、わかってて言ってますよねぇぇぇ、ひどいひどい」
「まぁね、さっき〔何してるの〕とも訊いたけど、あんたのこれからの行き先もわかってるよ」
 忍はそう言うと、そのまま階段を下りていく。
「えぇぇぇぇっ、なんでですかっ、テレパシイですかっ、テレパシイ!!」
 つっつかつっつか進む忍を、追いかける円。
「残念、そんなの持ち合わせてません」
「えぇぇぇぇぇぇぇ、またまたぁ、じゃあ、あれですかぁ、まどかの顔にぃ書いてあるとかそういうのですかぁっ?」
「ぜんぜんっ違っちゃってます、むしろ〔てれぱしい〕のほうが訊きかた面白かった」
 階段から廊下に進んで、そのまま悟徳学園の校舎を西の方に進む忍。
「あんたの持ってるものと、私の持ってるものでわかります」
 そう言うと、忍はブレザーのポケットの中から、ふたつ折りになったうすいむらさき色の小さな紙を取り出して、腕をのばして高く上にあげる。
「えっ、どれですぅ?」
 首を上に向けてそのふたつ折りの小さな紙を見上げる円。
「わかんないかなぁ――ほい」
「あっ、これっ!! まどかが朝のホーム・ルームで渡されたのと同じっ!! 同じたたまれかたっ!!」
 忍から紙を渡され、円は大きな声でそう言った。
「つまりはそういうこと。この学園で一番おぞましくも神秘なる部屋に呼び出されたわけ」
「えっ?!」
 きょとんとした円の顔に向かって忍はそう言うと、ひとつの扉の前で立ち止まった。
「この保健室にね」



高峰先生

「あ、おそい。そろってない。なぜゆえ……」
 扉を開けて保健室の中に入った折口忍と今野円が、悟徳学園の養護教諭・高峰(たかみね)先生から言われたひとことは以上のものだった。
「高峰せんせい、――そろってないってどういうことです」
 長イスに腰をかけて忍がそう訊くと、高峰先生は両まぶたをとじて両のひとさしゆびをくるくるまわしながら「んー」と言い出した。
 かなりのなぞの行動である。
「しのぶちゃんと……。そちらの一年生ちゃん……」
 高峰先生は眼をつむったまま、ねむたそうなトーンで語りかけて来る。
「まどかちゃんですっ、最近好きな歴史上のじんぶつは大デュマ(1802-1870)ですっ!!」
 いちおしの自己紹介ネタを発動させた円だったが、高橋先生はまだ瞑目したまま指をパソコンの「おまちください」の時に出るぐるぐるみたいに動かしつづけてる。
「……いちばん必要な。そろってない……」
 ふたりが高橋先生の奇怪なる言動に悩んでると、どたどたどたと駈け足の音が聴こえ、突然ガラッと保健室の窓が開き、南方楠美(みなかた くすみ)が入って来た。
「おいーっ、ごめんっ、ドクター高峰ぇぇ」
 ずかずかと入って来る楠美(裸足)。
「そろった……ベアちゃん。最もおそい」
「ごめんごめんっ」
「なんだ……南方先輩か」
 忍は一瞬ドキッとしたが、楠美だとわかって安心をした。しかし南方楠美(3年)じぶん(2年)今野円(1年)で「勢揃い」であるということに、一抹の不安を感じ取っていた。

「保険のせんせいぃ、ホーム・ルームで渡された紙には〔ひるに保健室に召喚します〕としか書いてなかったんですけどぉ、まどかや先輩たちはぁ、何に呼ばれたんですかぁ?」
 円がしゃきっと挙手をして質問をなげとばす。
「あなたたちは今年からとつぜん私が実施したくなってしまった 山羊のひのたま計画 に学園内で選抜されたので召喚されました」
 急に高峰先生がハッキリとした声でしゃべりまくる。
「どこから選抜されたんですか……」
 忍が呆れ気味の口調でたずねる。
「あみだくじ」
「えっ」
 高峰先生がシャーーーっと開けた白いカーテンの先には、壁一面に細かく線の割られたあみだくじの紙(グラフ用紙に書かれてた)の貼られた光景がひろがってたので、三人が同時におどろきの声をあげる。
「うそ。ほんとはこれ」
 そういうと高峰先生は、今野円、折口忍、南方楠美、それぞれの健康診断のカードを白衣の下から取り出した。
「おいっドクター高峰っ、またいつもの変な実験ごとのモルモットに使おうとしてんだろッ」
 楠美は半分「おもしれぇ」といった表情で高峰先生の近くに寄りかかる。
「去年も、選抜されましたとか言って変な踊りの練習されたし、先生、確実に、たぁげっとは絞ってるんでしょ」
 忍がそう言うと、高峰先生は少しほっぺたをふくらませて立ち上がる。
「それはない。ちゃんと。……選抜だよっ」
「ほんとかー、ドクター、もう3年連続呼び出されてるぞー」
「あなたたちは私の研究した算出法からすると学年の中でそれぞれ最大限に能力を引き出せる能率の脳味噌容器となりうる心臓と体躯とをもってるのだからつべこべいわずにこれを摂取しなさい」
 高峰先生はそういうと薬品の入ってるガラス棚から、うす黄色くて、まるい、ラップフィルムに包まれたバターのようなものを何粒か取り出して、また戻って来る。
「今年は何ですか、高峰先生」
「さぁ。摂取」
「わぁぁ、なんですかぁ、そのひとだまみたいな形のぉ」
 おたまじゃくしのような形のしっぽのようなものがピュンとのびてるその物体を、円がそう表現すると、高峰先生はガバッと、高速で近づいて来る。
「やはり私の計算と見立ては正しいコレを即座に魂の形状を模したものだと結びつける発想力! すばらしい!! 山羊の心臓を切り開き心室の中に碧き火玉のたましいを見出したアラビアのいにしえの人のようだ是非ともコレを摂取することによってその能力を能率よく発揮できるチカラを養ってほしい」
「えぇぇぇ……? どぉいうことですぅ?」
「デュマちゃんあなたの能力能率はこれひと粒で3.4倍あがるはずよ」
 円のことをデュマちゃんと呼んだひとは、自己紹介の時間に「大デュマです」を使った直後に「デュマちゃん、このウェットティシュ……ひっぱりだせる?」と牧田スガに訊かれたときに言われて以来の、稀な2例目である。
「これ、成分というか原材料は何なんだ、ドクター高峰」
「すべて自然由来」
「あきらかに野蛮な香りしかしないですけど」
 忍は早速ラップごとゴミ箱に捨てようとする。
「摂取しなさい」
 高峰先生はそう言うと、ほほえみながら忍をうしろからはがいじめにして、くちのなかへ無理矢理ひと粒ねじ込んだ。



「じゃ次はまた来月、またひと粒ずつこれを食べに来なさい再来週の学力審査ではたちどころにその能率向上の効果が見えるはず……ふふっふっふっふっ……結果をたのしみに待ってるよ」
 パタンと保健室の扉がしまって、円、忍、楠美の3人は廊下に立っている。
「折口先輩、まだ変な顔色になってますよぅ」
「……あんた、よくあんなへんてこな匂いのもの食べさせられて平気左衛門でいられるわね」
「そうでしたぁ? まどかは別にそうでもなかったですけどぉ?」
「うっ……、こっち向いてしゃべる……な……」
 口と鼻を手でガードする忍。
「だって南方先輩なんか、ポイっとピーナッツ食べるみたいに食べてたじゃないですかぁ、ねぇ、先輩?」
 円が楠美のほうを向くと、もう楠美の影はそこになく、近くの水道で摂取した物体を派手に体外返還してる音がきこえてきた。
 そのオエオエな音を耳にした忍の顔色はますます良くない。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ、南方せんぱいぃぃぃぃぃ、何リバースしてるんですかっ!!!!」
「えっ? だってドクター高峰のつくったくいもんだよ、まともに消化したら脳味噌人間になっちゃうぞ」
「えっ!? のうみそにんげんっ!?」
 円の想像力はとどまるところを知らないほどにいろいろなものを想像した。
「とうめいにんげん……より、かっこいい響きですかねぇ?」
「ぶへっ――あはははは、じょうだん。まー、口に合ったんならちょうどいいや、ドクター高峰のことだから、またさっきみたいに喜ぶよ、そしたら妖怪の本でも見してもらいな、ね」
「ええっ?! なんで保険の先生に妖怪見せてもらうんですぅ?」
「あれっ、見えなかった? ドクター高峰は脳味噌の数十パーセントが妖怪の世界で出来てるようなおねえちゃんだからさー、保健室の奥にはそういう本もいっぱい積んであるよ」
「そうなんですかぁぁぁ、折口先輩っ、そんなこと知らなかったですよっ!! 教えてくれればどんな本があるのかまどかも見たのにぃ!! ねぇ! せんぱいっせんぱいっ!!」




 その日の放課後の妖怪研究会では、円と忍が山羊の心臓+山羊の乳+山羊のいろんな体臭をブレンド濃縮した香りを放ってたので、自然と短時間でおわってしまった。
 いっぽう、南方楠美が部長をつとめる科学部は、特に変わりはなく平常運転だった。



(2014.04.13 氷厘亭氷泉)